海運と造船の町、愛媛県今治市の中心市街地にある大正8(1919)年建築の浴場施設「今治ラヂウム温泉本館」。洋館風のどこか懐かしい雰囲気を持つこの建物が、実は船をモチーフに建造されていたことが判明した。平成28年に国登録有形文化財となったのをきっかけに建物を調査したところ、外壁から突き出した塔屋や外壁など約20カ所が船の特徴を持つことが分かった。100年以上の歴史の中で増改築が繰り返され、原形が忘れ去られていたが、関係者は「今治港が国際貿易の拠点となった同時期に建設された建物が、港まちを象徴する船のデザインと分かり感慨深い」と話す。
「新世界」がモデル
登録文化財の今治ラヂウム温泉本館は鉄筋コンクリート造り2階建て、建築面積408平方メートル。陸屋根の中央には五角形平面に六角形平面を重ねたデザインの塔屋と、その背後にある八角形ドームが特徴だ。
地元の今治市大島出身の実業家、村上寛造が大正8年に映画館や多目的ホール、食堂などを備えた複合娯楽場「共楽館」の一部として建築した。温泉や映画館、ホールなどを併設した娯楽施設を中心に繁華街を形成するという事業は、明治45年に完成した大阪市浪速区の「通天閣」と、その周辺の「新世界」をモデルにしたとされる。
立地する共栄町は建設当時は湿地帯で、本館の建築当初、一帯で大規模な開発が行われた。建築翌年の大正9年に今治市政がスタート。11年には今治港が外国との通商貿易が許される四国初の開港場として指定された背景から、運営会社の担当者は「地域の賑わいと繁栄を目指して建てられた」と説明する。
市民の憩いの場
施設は市の発展とともに市民の憩いの場として歴史を重ねてきた。先の大戦中は越智郡郷土防衛隊の本部が置かれ、県下最大の被害となった昭和20年の今治空襲でも奇跡的に消失を免れ、戦後は1日7千人以上の利用があったとの記録も残る。
42年に三角屋根の3階部分が増築され、エントランスも広げるなどして宿泊機能を持つ形にリニューアルした。さらに、63年にも大規模な改修が行われ、露天風呂や電気風呂、サウナなどを備えた現在の形となったが、老朽化や維持費の高騰などのため平成26年に惜しまれながら閉館した。
その後、国内でも初期の鉄筋コンクリート造りのドームなどが、当時の技術を残す貴重な建造物として評価され、28年に国登録有形文化財に登録された。
見学ツアーや展示会、ライトアップイベントなどで活用される一方、建築当時の資料が乏しいこともあり、建物の歴史や構造の詳細が不明だったため、運営会社は専門家の協力を得て詳細調査に乗り出した。
思いを大切に
建築やドーム構造の研究者が調査を進める中、令和4年に名古屋大の西沢泰彦教授(建築史)らのチームは増築前の部分が船の特徴を備えていることに着目。視察の結果、建物中央2階の外壁は船首、最上階の展望スペースは操舵(そうだ)室を模して高度な建築技術を要する三角形のデザインを取り入れているほか、装飾的な段差など船との類似点が約20カ所確認できた。
さらに、さまざまな資料を基に再現したジオラマ模型は船を想起させる姿で、施設が海に浮かぶ船のように見える大正期の写真も見つかった。
西沢教授はこれらを踏まえ「外壁から張り出した塔屋部分は構造的な工夫と高度な技術が必要。船が海の上を航行する姿を建物全体で表現している」と分析。デザインの趣旨が判明しなかった理由について「船の形状が増築部分に隠れてしまい、建築背景や建築デザインが忘れられ埋もれてしまった」と説明する。
運営会社によると、これらの調査結果は年内にとりまとめ、文化庁に報告する予定という。担当者は「今治の発展を目的に建設した関係者の思いを大切に、多くの人に建物を知ってもらいたい」と話している。(前川康二)