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石ノ森章太郎さんに一喝されて挑んだ女形 人情芝居に生きる俳優・梅沢富美男さん 一聞百見

産経ニュース 2024年9月13日 14時0分

テレビでこの人を見ない日はない。そう思うほど、バラエティー番組でユーモアあふれるトークを展開したかと思えば、情報番組ではコメンテーターとして歯に衣着せぬ物言いでズバズバと本質を突く。ドラマでは個性派俳優としてシリアスな演技を披露し、近年は俳句まで詠んでしまう。肩書はいったい? すると間髪入れず、「僕は舞台役者です」ときっぱり。日本のエンターテインメントを追求し続ける「おっちゃん」は実に多才で、情の人であった。

「自分の顔にびっくり」

8月、大阪新歌舞伎座で行われた公演。第3部のショーの幕開きに艶やかな女形で登場すると、満員の客席からどよめきが起こった。半開きにした口元、踊ると肩先から色香がこぼれる。つい1時間ほど前の芝居ではお世辞にもきれいとは言えない敵役の芸者で大暴れしていたことを思うと、とても同一人物には見えない。

そもそも、大衆演劇の人だった。「いわゆる、どさまわりですね」。兄、梅沢武生が率いる劇団で笑い中心の三枚目役を得意としていた。そんな富美男を一躍有名にしたのが女形だったのだ。

「最初は、女形なんて絶対やりたくないと思っていたんですよ」

しかも、20代の頃には、役者をやめようと思ったことすらあった。

「テレビを見ても映画を見ても自分より下手な役者がスターになっているじゃないですか。自分は全然売れないし、下町の小さな劇場から脱出できないし」

ある日、売れない頃から応援してくれていた漫画家の石ノ森章太郎に「先生、役者やめたいんですけど」と告げに行った。理由を聞く石ノ森に「壁ですかね」と言った途端、一喝された。「お前みたいな無名の役者に壁があるか。壁っていうのはな、世の中に出た人が作るんだ」

頭を殴られたような気がしたという。「そうか、もっとうまくなれるよう自分が努力して稽古すればいいんだ、と思い直しました」

そのうち石ノ森から連絡があった。「『矢切の渡し』を踊ってよ」と。男と女が親に背いてまでも恋に生きようとする名曲だ。

「そこで初めて、兄貴に女形をやれと言われたんですよ。でもやったことがなかったので、どうすればいいのか分からない。兄貴は『おまえ、女の人が好きなんだから、観察すればいいだろう』って」

そこで、花柳界の女性たちの所作を見て踊ってみた。化粧は昭和の大スター、長谷川一夫の写真を見て研究したという。

「それがね、鏡を見た瞬間、自分の顔にびっくりしましたよ。あれ、きれいになるじゃないってね」

初めて女形として出演した舞台。客席がざわめいた。そのうち雑誌や新聞、テレビ局が押し寄せ、女性週刊誌の記者が、歌舞伎の坂東玉三郎にちなんで「下町の玉三郎」とキャッチフレーズをつけた。ブームが起こり、ドラマや紅白歌合戦にも出演する。

大衆演劇からメジャーへ。運命が変わった瞬間だった。

七五調の「夢芝居」、すっと俳句の世界へ

テレビに舞台に多才ぶりを発揮する梅沢富美男。近年、その活動に俳句が加わった。

《廃村のポストに小鳥来て夜明け》(梅沢富美男)

「僕なんか、俳人の夏井(いつき)先生に言わせると、中学生レベルです。最近ようやく大学生レベルになったかな、と言っていただいていますけどね」とは言うものの、前述の代表的な一句など、風景が見えてくるようである。

当初は、梅沢と俳句という意外な取り合わせに驚いたが、昨年に出版した「句集一人十色(いちにんといろ)」(ヨシモトブックス)を改めて読むと、繊細な感覚や物事を観察する目の確かさ、日本語の美しさに、感性の豊かさを感じる。俳句は今や梅沢の〝顔〟の一つになった。

俳句に携わるきっかけは、バラエティー番組「プレバト!!」(TBS系)。芸能人らがさまざまな分野で才能を競い合う番組で、そのうちの一つが看板企画となる俳句だった。

「もちろん、それまで俳句なんて詠んだこともありませんでしたよ。俳句のハの字も季語も知らなかった。でもね、俳句の本を買って勉強してみると、俳句の『五七五』は、せりふの七五調と同じだったんです。僕の唯一のヒット曲『夢芝居』の歌詞も七五調。僕が慣れ親しんできたリズムで、それが日本人の耳に一番心地よく入ってくるんですね。ですから、意外にすっと俳句の世界に入れたんです」

日本語への強いこだわり

苦戦したのは、季語と日本語の正しさ、美しさの追求だった。

「これはもう努力しかなかったですね。歳時記を持ち歩いて勉強しました」

才能を発揮し、番組内で「特別永世名人」の称号を獲得するまでになったが、「句集を出したことが逆に重荷になりました」と吐露する。

「皆さんからよく、『ここで一句』って言われるんです。でも、今も一句作るのに4、5日かかっていますし、僕なんか、とてもとても俳人にはなれないですよ。今も勉強しかない。それぐらい俳句は深いし、すごい世界です。ただ、自分自身としては、季語を学んだり、日本の文化の勉強になったりと、ものの見方がいい意味で変わりました」

しかも梅沢の存在が俳句の人気を広げポピュラーにしたことも間違いない。

「うれしいのはね、世の中の人が日本語のきれいさを認識するお手伝いくらいはできたかなということです」と笑顔を見せた。

俳優という仕事は「一種の語り部」だと思っている。だからこそ日本語には強いこだわりがある。

「若い人がよく『やばい』って言うじゃないですか。あれ、いったい何ですか。かわいいものを見ても『やばい』、怖いときも『やばい』。それから『んまっ』もね。番組内で真剣に怒ったことがある。『うまい』って言えってね。僕の発言、時々ネットで炎上するんですけど、このときはしなかったなあ」

数年前、「第2の梅沢ブーム」と言われたことがあった。俳句での活躍はもちろん、情報番組のコメンテーターとしても本音をズバズバと語る。そんなキャラクターに改めてスポットが当たったのだ。

当時、インタビューした際、「今年は2月から7月まで一日も休みがない」と語っていたが、今回の取材も大阪新歌舞伎座の8月公演の真っただ中で、開演前の朝というせわしなさ。それでも疲れた顔ひとつ見せず、さまざまなエピソードを達者な話術で披露する。

どんな多忙なときも一切手を抜かない。そんなプロ意識が今の梅沢富美男を作ったのかもしれない。

故郷を襲った東日本大震災

どんなに多忙でも舞台を優先する。その姿勢は一貫して変わらない。

「僕自身がね、舞台が好き、というのが一番なんです。生まれたときから舞台で育ちましたでしょ。それがいいのか悪いのか、紅白歌合戦にも興味がなくて、僕にとっては新歌舞伎座や明治座、御園座などの大劇場の舞台に立つことがステータスだったわけです。いろんなメディアに出させていただいて、ブームなんて言われても、絶対に自分を見失わなかった。天狗になったこともないし、浮かれることもなかったんだと思います」

初めて明治座の舞台に上がったとき、母親を連れていった。劇場の外には梅沢富美男の名が書かれたのぼりがはためいていた。

「母親に初めて、『あんたを産んでよかった』と言われました。それが一番の褒め言葉です」

舞台活動の根底にあるのは常に「お客さまに喜んでもらいたい」との一念だ。

「お客さまが望むことなら何でもやろうと思っています。こんなご時世に、高い入場料を払っていただいてわざわざ劇場まで見に来てくださっているのですから、絶対に楽しんで帰っていただきたい」

そんな思いを一段と強くしたのは、平成23年3月11日の東日本大震災での経験があったからではないだろうか。出身は福島、母親の生まれは青森。故郷が甚大な被害に見舞われ、「何とかお手伝いをしたい」と矢も盾もたまらず、同28日には救援物資を届けに福島に向かった。

当初は義援金を集めて持っていこうと思ったそうだが、梅沢のブログに「赤ちゃんの粉ミルクがありません」などのメッセージが届いた。

「赤ちゃんは自分で訴えることができなくて泣くしかない。かわいそうでしょ。僕でできることがあるなら何でもやりたいと思った」

4トントラックに粉ミルクやおむつなどを積み込み、運行許可証も取得。福島県内各地を回り、被災者に直接手渡した。何度も被災地に出向き、炊き出しをし、子供たちに喜んでもらおうと夏祭りも催した。

そんなある日、避難所で、寝たきりの年老いた女性が「私の命と引き換えに家族を返してほしい」と訴えていた。震災で家族が亡くなったという。

「そうしたら、隣にいた中学生の女の子が『そんなこと言っちゃいけないよ。せっかく助かった命なんだから』っておばあちゃんに言ったんですよ。後で聞いたら、その子のご両親も亡くなっていたそうです。そのとき、ああ、日本人の間にはまだまだ情があるんだなあと思いました」

だからこそ、舞台では人情芝居をやり続けたいと決意した。「気取った芝居じゃなくてね」

梅沢が座頭を務める公演は、笑いと涙の人情芝居あり、歌あり、華やかな舞踊ショーもある。今や日本の演劇界から姿を消しつつある「ザ・商業演劇」だが、エンターテインメントの財産の一つだ。

「僕は夢の世界を作りたいのです」

今も舞台ではあでやかな女形になって踊りを披露する。

「昔は50歳で女形はやめようと思っていたんです。きれいじゃなくなったら女形はつらいですから。でも50歳になってもお客さまがキャアキャア言ってくださったので今度は60歳でやめようと思ったけど、まだ大丈夫だった。70歳で本当にやめようと思ったら、梅沢富美男の第2のブームがあってやめられなくなっちゃって。今は、皆さんがきれいと言ってくれる間はやろうかなと思っています。お客さまが僕を支えてくださっている間は全力で頑張ります」

インタビューの最後に「女形の美の秘密」を聞いてみた。

「いや、本当に何もしていない。エステも行ったことないですしね。きっと芸能の神様がいらっしゃるのかな」

朗らかにそう言って、出番の準備のために楽屋に入っていった。(亀岡典子)

うめざわ・とみお

昭和25年11月9日、福島市生まれ。「梅沢富美男劇団」座長。1歳7カ月で初舞台。15歳で兄、武生が座長の「梅沢武生劇団」の舞台に立つ。20代の頃、女形のあでやかさが評判を呼び、大衆演劇界のスターに。平成24年、武生から劇団を受け継ぐ。舞台のほか、テレビドラマ、歌手、情報番組のコメンテーターなど幅広く活躍。10月2~26日、東京・明治座で「梅沢富美男劇団 梅沢富美男 研ナオコ特別公演」が行われる。

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