Infoseek 楽天

神社存亡の危機はZ世代に届くか 「らしくない」ポスターで全国の護国神社がキャンペーン

産経ニュース 2024年10月19日 7時0分

終戦80年を迎える令和7年を控え、郷土の戦没者をまつる全国の護国神社52社が参拝を呼び掛けるキャンペーンを始めた。広報ポスターはあえて宗教色を前面に出さず「らしくない」デザインを採用。戦争の記憶が風化し、参拝者が減少する中、Z世代といわれる若い世代に期待を込める。各地の護国神社がまとまって宣伝活動に取り組むのは初めてのことだといい、神社存続の危機感がうかがえる。護国神社としては斬新な試みに踏み切った全国護国神社会の泉和慶会長に事業の背景や目的について聞いた。

「知っていますか」

52社が集まる全国護国神社会は約1年前に委員会を立ち上げ、キャンペーンについて話し合った。ポスターは試作品が何枚もつくられた。護国神社の出すメッセージには「英霊」「国家」といったキーワードが入るのが定番なのだが、今回はあえてそうしたものを選ばなかったという。

採用された1枚は、白いTシャツにベージュのスカート姿の若い女性が夜明けの海岸にたたずむ構図。やわらかく温かな印象を受ける。キャッチコピーは「知っていますか 命をかけて私たちを守ってくれた人たちのこと」。続くメッセージは「護国神社は日本を守るために戦没された二百四十六万余柱のみたまをお祀りし日々平和を祈念しています」と述べるにとどめ、参拝を求める直接的な表現は避けた。

泉会長は「激しい議論の末、時間をかけ、ここにたどり着いた」と振り返る。

ポスターは神社会で1万2千枚印刷。神社以外に地元の企業や団体にも掲示を要請した。

さらに、神社本庁も全面協力。ポスター2万5千枚、同じデザインのチラシ5万枚を印刷し、傘下の約8万社に掲示を呼び掛けた。

難しい継承、神社経営が課題

護国神社は都道府県ごとにあり、その地域の戦没者を「英霊」としてまつっているが、戦没者遺族の高齢化や時代の流れのなかで、存続が難しくなっている側面があるという。

戦前は国の管理下にあり、経済的にも支えられていた。このため、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は軍国主義の象徴ととらえ、国との関係を断つことを命じたという経緯もあった。

GHQとの交渉に挑む際には、全国の護国神社の宮司が靖国神社に集まり、存続のための話し合いがもたれたという。

「護国という名を使わず浦安会と名乗ったのが今の全国護国神社会の始まり。神社を残すために護国神社の名を捨て別の名に変え、軍人の宮司を退かせたり、祭神に警察官や消防士の殉職者を加えたところもあった」

沖縄県護国神社は沖縄戦で亡くなった住民、本土出身の戦没者も含まれる。広島護国神社は原爆の犠牲者となった勤労奉仕中の学徒や女子挺身隊などもまつる。占領が終わり主権を回復すると、名称を護国神社に戻し、空襲で破壊された神社も復興をとげていった。

国に代わって神社を支えたのは戦没者の戦友や遺族らによる奉賛会だった。しかし戦後60年を過ぎたころから、戦友もなくなり、遺族も高齢化。次世代への継承も難しくなった。

護国神社を代表する「みたま祭」で、個人、企業・団体からの寄付を示すちょうちんの数が目に見えて減っている。

泉会長が宮司を務める兵庫県姫路護国神社でも、お正月に寄付で境内に提燈を飾る「新年万燈祭」で、2600個あった提燈が2千個にまで減った。

インターネット上ではクラウドファンディングで寄付を募る神社もあるが、目標額に達せず苦戦するところもある。社殿の修理や境内の整備もままならず持続可能な神社経営が課題だ。

泉会長は「首相の靖国参拝が問題視され、マスコミに大きく取り上げられると、自治体の首長も参拝を避ける。護国神社の負のイメージが強化され、参拝者の足を遠ざけることになる」とも話していた。

見えた光明

しかし終戦80年を前に光明も見えてきた。

「近年、戦後レジームの負の遺産を受け継がない若者たちが、境内に目立つようになった」というのだ。

護国神社の起源は幕末から明治維新にかけての戦いで亡くなった人をまつった招魂社。日清戦争、日露戦争以降、先の大戦まで246万人を超える戦没者がいる。

「家系をたどるとどこかでその先祖にたどり着く。ある意味、国民すべてが遺族ともいえる」

泉会長はパリ五輪卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルに輝いた早田ひな選手が帰国後「特攻資料館に行ってみたい」と発言したことにも言及した。

「英霊が残した言葉は家族を、郷土を、日本を守ろうとする覚悟にあふれている。護国神社の祭祀(さいし)は国難に殉じた人たちを大事な先祖の一人として、敬い感謝することだ。護国神社はそんな人たちに報いる生き方とは何かを常に考える場でもある」

戦後80年となる令和7年、全国52社でそれぞれ臨時大祭が行われる。泉会長は「その日を中心に国民が改めて英霊の崇高な精神に触れることを願う」と期待を込めた。(安東義隆)

この記事の関連ニュース