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姿消した「マッチ箱」が静かなブーム、「高原列車は行く」の沼尻軽便鉄道 福島県猪苗代町

産経ニュース 2024年8月27日 11時0分

軽便鉄道をご存じだろうか。明治から昭和にかけ全国各地に造られた小規模な鉄道だ。狭い線路や小さな車両などが特徴で多くは既に姿を消している。このうち、半世紀以上前に廃止された「沼尻軽便鉄道」があった福島県猪苗代町には、その痕跡をひと目見ようというファンが訪れ〝静かなブーム〟になっている。

「高原列車は行く」のモデルに

軽便鉄道は一般的な鉄道と比べ、自治体や企業が比較的低予算で運営できた。軽便鉄道法に基づいて造られ、隆盛を誇ったのは明治末期から昭和初期。線路幅はJR在来線の1067ミリに対し、多くは762ミリで「ナローゲージ」と呼ばれた。

沼尻軽便鉄道はJR磐越西線の川桁駅と沼尻駅を結ぶ15・6キロ。沼尻鉱山の硫黄輸送を主な目的として大正2年に開業、昭和44年に廃止された。旅客輸送も行い地元住民の足として活躍し、温泉の湯治客やスキー客も運んだ。ナローゲージの小さな列車は「マッチ箱」などと呼ばれ、昭和29年発表の岡本敦郎の歌謡曲「高原列車は行く」(作詞・丘灯至夫、作曲・古関裕而)のモデルにもなった。

レトロな内装の木製客車

廃線後、レールは撤去され沿線に往時の面影はないが、同町の観光施設「緑の村」にはディーゼル機関車と客車2両が保存されている。機関車は「DC12形」で昭和28年に蒸気機関車に代わり導入された。最高時速34キロだが「大幅にスピードアップした」との記録が残る。客車「ボサハ12」は定員50人。いずれも運行終了まで活躍した。

機関車は黒、客車は木製で緑と白のツートーン。小さな列車は、アニメの世界から飛び出したようなかわいらしさ。客車内に入ることもできレトロな雰囲気を楽しめる。映画「千と千尋の神隠し」に出てくる電車と内装がそっくりと、話題になったこともあった。

車内は身長171センチの記者が両手をいっぱいに広げると、左右の指先がちょうど壁に付くサイズ。網棚も控えめでA4のファイルを縦に置くと、はみ出した。夏休み中は、緑の村を訪れた親子連れなどが見学して楽しんでいる。

保存場所は雪深く、車両は頑丈な上屋に守られている。雪に閉ざされる11月末から4月上旬まで公開は中断され、ブルーシートに覆われて越冬する。緑の村を運営する猪苗代町振興公社の小野秀男総務課長は「保存車両目的で訪れる人もいる。問い合わせは全国からある」という。近年は、線路の跡をたどるウオーキングなども開催されている。

懐かしむ人の思いさまざま

5年前に解散した「沼尻鉱山と軽便鉄道を語り継ぐ会」で事務局長を務めていた、同県猪苗代町の安部なかさん(73)は沼尻軽便鉄道の沿線で生まれ育った。安部さんは「軽便鉄道は生活の一部。本数は少なく正午頃、列車が通ると『お昼の時間だ』とか時計代わりだった。列車は遅くて自転車に抜かれたこともあった」と懐かしそうに話す。

安部さんが高校2年の昭和43年秋、列車は走らなくなった。運営する会社が倒産したためで、安部さんは「あまりに突然で驚いた」と記憶している。

語り継ぐ会は平成18年に発足し当初、会員が約30人いた。沼尻軽便鉄道の記録などをまとめていたが、高齢化で会員が亡くなるなどメンバーが減り解散。今は安部さんが歴史的な資料をすべて管理し、次世代に引き継ぐ活動を続けている。

「流行歌の舞台を歩いたり、戦時中の疎開経験の記憶をたどったり訪れる人たちの思いはさまざま」と話す安部さんは「年を取り人生を振り返ったとき、沼尻軽便鉄道が思い浮かぶ人がいるのはうれしい限り」と続けた。(芹沢伸生)

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