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日本の失敗と成功をベトナム発展の礎に 日越親善協会理事長・酒井広徳さんが目指す未来 一聞百見

産経ニュース 2025年1月17日 14時0分

ベトナムが、企業進出や優秀な人材獲得などを目的に、日本の地方自治体や企業から熱視線を集めているという。日越親善協会の理事長、酒井広徳さん(48)はそうした取り組みに約20年前から東奔西走してきた。経済、文化、人材育成、街づくりまで。「日越親善協会」設立は、ベトナム政府からの要望でもあったそうだ。さまざまな難局を乗り越えてきたカギはベトナム有力者との信頼関係。その極意は、酒だった。

「酒を飲んで、仲良く」

1年の約半分は、ベトナムを中心にアジア各国を駆けめぐる日々を送っている酒井さん。日本とベトナムの懸け橋として取り組む事業は「50ぐらいはあるでしょうか」。福祉施設経営、貿易業、リゾート開発、コンサルタント事業、人材派遣、エンジニア紹介・サポート、翻訳通訳事業、不動産事業…。日越親善協会の理事長として文化や交流を広げる活動とともに、手掛ける事業は枚挙にいとまがない。ベトナムの企業や政府関係者と直接交流する機会を提供するツアーなども展開している。

「仕事と思ってやってないんです。何ごとも楽しんでやっています」

20代初めに元兵庫県会議員秘書を務めたこともあり、行政や企業との交渉事を得意としてきた。初めてベトナムに足を踏み入れたのは約20年前。「当時はスリランカ政府と仕事をしていたのですが、それをどこかで聞いたベトナム政府関係者が、ベトナムにも来てほしいと」

日本はベトナムに政府開発援助(ODA)を投じてインフラ開発や人材育成に注力し、民間セクターを通じた開発の促進なども強化してきた。その双方の間に立ち、政府との交渉や調整、企業紹介といったコーディネーター役を担ってきた。

「例えば、ベトナム政府からある場所に高速道路を造りたいと相談される。だが、そこはまだジャングル。目的地まで、3日間歩きっぱなしということもありました」

ベトナムでの難局打破には有力者とのつながりが重要な意味を持つ。人脈、信頼関係の構築の仕方も性に合っていた。

「ベトナムは飲んで仲良くして、仕事を進めていく文化。初対面でも、日本のように名刺交換は少なく、まずはご飯に行きましょうとなるんです」

ある日の例。午前6時からの朝食会で、いきなり酒を飲みながらのビジネス話。関係先の視察などを終え、昼になると、打ち合わせを兼ねた昼食会。ここでも酒を酌み交わす。夕食会も酒から始まる。相手が飲み干せば、こちらも飲み干すのが基本だ。

「相手も自分もグラスを持ったら、だれかと乾杯します。2時間の会食なら、100回以上は乾杯しているでしょうか。自分のペースで飲めるのは水だけです」

健康チェックは欠かせないが、「多分家系的にお酒は強いと思います」と屈託なく笑う。

相手が見るのは酔ったときの姿。「酔えば酔うほど内面の自分が出てくる。それを見て、お互いに信頼できるかどうかを見計らいましょうという文化なんです」。飲み比べは「絶対に負けない」。飲み負けた人は自分よりも階級が上、兄貴分を紹介するのが、暗黙のルール。こうして政府上層部や実力者に食い込んでいったという。

障害者の支援は使命

酒井さんが日本とベトナムとの橋渡しとして奮闘する中でいつも感じるのは、ベトナム行きの飛行機は「タイムマシンのよう」。昭和時代の郷愁と高度成長期にも似た活気にあふれ、緩い秩序でも希望を感じさせる。強烈に引きつけられる土台には、子供時代の原体験も関係しているのだろう。

生後まもなく両親が離婚した。母一人、子一人の生活。母は少しずつ心が傷つけられた。「2、3歳の僕を抱えて、心中未遂も何度かあった」

ほどなくして、母は入院。小学生で1人残され、親戚の家を転々とする生活になった。しばらくすると、児童養護施設へ預けられたが、そこはなじめず、母方の祖父との2人暮らしとなった。中学2年のとき、祖父が脳梗塞で急死。「今なら施設に入れられていたと思いますが、祖父と暮らしたマンションで1人暮らしを始めました」。生活費は新聞配達で稼いだという。

「戦時中の子供のように畑のニンジンやダイコンを抜いて、土の付いたままマヨネーズをつけて食べたことも。だからなのか、海外では同行者が食事でおなかを壊し、宿から出られない状態になっても、私は壊したことがないんです」

当時、中学校の教師も親身になって支えてくれた。「遠足の日に周囲に知られないよう、そっと弁当を持たせてくれたこともありました。生きていくために大人から好かれる努力をしていたのかも」と苦笑する。

高校進学も真剣に考えてくれた。好きだったサッカーだけは続けていたことから、サッカー推薦での私学入学が決まりかけたが、その高校サッカー部はアルバイト禁止。生活費も学費もアルバイトで稼ぐつもりだったため、サッカー入学は断念したが、そこから猛勉強を始めた。学校の授業を終えた後も、教師が勉強に付き合ってくれ、公立高校に合格。飲食店などでアルバイトをしながら、高校を卒業した。

人生の分岐点が訪れたのは20歳の頃。当時、兵庫県会議員だった故・今西永兒さんの事務所のアルバイトがきっかけだった。当初ははがきの宛名書きやアンケート集計の雑用係。「だけど、僕は字が汚くて。それを見た先生(今西さん)が、字は書かんでええから、晩ごはん付き合えるか、と」

その日を境に秘書となり、今西さんの行くところ全てについて回った。今西さんの訪問先は多岐にわたった。秘書経験を通して世の中の動きを見つめる中で、自身の子供時代と重ね合わせることも少なくなく、いつしか社会的弱者の自立支援への思いを強めていた。

23歳で一念発起し、独立した。飲食店経営や、今西さんの支援者との縁もあり、特に力を注いだのは障害児を持つ親たちの団体への支援。「当時は障害者への自立支援の理解は少なく、子供の将来に不安を感じる親は多かった」。障害者も社会の一員として働き、税金を納めることで自分の存在意義を感じてほしかった。

今は働き方の一つとして浸透しているリモートワークだが、ひらめいたのがまさにこれ。「コンピューターを使うことで自宅にいながら個々の得意分野を生かした仕事ができるのではないかと」

日本企業がそっぽを向く中、賛同してくれたのは外資系のマイクロソフト社。自社のパソコンやソフトの寄付などさまざまな支援をしてくれた。設立した社会福祉法人は今、障害者自立支援事業の施設としてICT(情報通信技術)を駆使して自立と社会参画、就労の促進を全国で支援する活動を続けている。取り組みはベトナムでも同じ。障害のある子供たちや親のいない子供たちの施設を訪れることは使命と感じている。

スポーツ業界にも進出

「日越親善協会」と聞くと、文化的な交流事業を思い浮かべる人が多いかもしれない。だが、理事長の酒井さんが注力するのはもっと壮大だ。

「ベトナムが政府として最も求めていることは、日本との経済的なつながりを強化し、発展していくことなんです」

ベトナムと日本が独自の関係を構築しつつ、日本がこれまで経験してきた失敗も成功も踏まえながら、技術やノウハウ、環境問題、人材育成などで両国の企業や学校がタッグを組み、ベトナムの事業の成長や問題解決へとつなげていくことだ。

ベトナムの大学と日本企業をつなぐ役割も果たす。日本企業がベトナムの大学生に就業体験の機会を提供し、単位認定の課外活動とするインターンシップの協定締結にも一役買ってきたという。

「日本で働く外国人にはすごく肩身の狭い思いをしている方がたくさんいる。そういう調査もしてきて、何とかしたいという思いがあった。就業体験を通して互いに理解し合い、企業からもまた来てくださいという形ができれば」。日本企業にも意欲的な学生の採用や、ミスマッチの把握につなげられる。

最近はスポーツ業界にも進出した。注目しているのがゴルフだ。

「ゴルフ場はベトナムにまだ40カ所ぐらいしかなく、国内の超富裕層や外国人の利用にとどまっていましたが、この頃はベトナムの中小企業の方々も、ビジネスにも役立つとして、ゴルフをたしなむようになってきているんです」

このため、数少ないゴルフ場は、どこも予約が殺到しているという。

「ベトナム政府は2026年までにゴルフ場を約200カ所に増やしたいと考えています。その手伝いをしてほしいということで、日本の企業やゴルフ業界の方々をお連れするなど、要望に応じた手伝いをしています」

声がかかれば、行動せずにはいられない性分。ベトナムでは人気の高いプロリーグもあるサッカーでも動いている。

「ベトナムのチームと日本のクラブチームとの交流試合の話も出ているんです。両国やチーム間で(コーディネーターとしても)いろいろ動いていますよ」

ベトナムはスポーツウエアやスポーツ用品市場も成長を遂げていて、「そうした企業にスポンサーになってもらったり、ベトナム側に代理店を設立したりする手伝いもしている」という。

ベトナムに魅了される理由の一つには、ベトナムの仏教は日本と同じ大乗仏教で、倫理観や道徳観が似ていることもあるという。

「エネルギーあふれるベトナムを知れば知るほど、日本人にも『昔はそういう気持ちがあったなあ』とか、若い人たちには『ベトナムの考えを逆に学びたい』という刺激があると思います」

最近、非常に楽しみな仕事が地方での街づくりだという。

「ベトナム政府が人口爆発によってジャングルでの住宅地開発や街の開発を進めているので、日本のどんな支援や技術が必要なのか。行政と話し合いを進めながら、政府の手がなかなか届かないようなところを、私がやっていく。求めているものと合致する日本企業とつないでいます」

好きな言葉は「成功が義務である」。ベトナムを訪れるたび、発展していく街を見ては新たな意欲がわく。その勢いは増すばかりだ。(嶋田知加子)

さかい・ひろのり 昭和51年、兵庫県西宮市生まれ。近大法学部中退。議員秘書を経て、23歳で起業し、デイサービス施設や海外政治コンサルタント会社など設立。2015年に「日越親善協会」創立。ベトナムと日本との懸け橋として、両国で貿易業、コンサルタント事業、人材派遣、ホテル事業、研修生やエンジニアの紹介やサポート、飲食業、不動産業などの事業を手がける。

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