シャーロック・ホームズシリーズの最初の短編集「シャーロック・ホームズの冒険」の冒頭を飾るのが『ボヘミアの醜聞』だ。
女性にさほど興味を示さないホームズの恋愛観などが描かれたこの作品で、彼にとっての恋愛感情は「精密機械に入った砂利」よりも大きな障害と表現されている。そんな彼に敗北を味わわせたことで、彼が唯一敬意をもって「あの女(あのひと、The Woman)」と呼ぶのが、この作品のもう一人の主人公、アイリーン・アドラーだ。
物語は、ホームズが相棒のワトソンとともに暮らすベーカー街221Bに「力を借りたい」という一通の手紙が届くところから始まる。ホームズはやがて訪れた派手な格好をした男性をボヘミア国王だと看破する。
相談事とは国王がかつて愛した女性が彼との写真を持って脅迫しているというもの。その女性こそがアイリーン・アドラーだった。
国王から写真の奪還を依頼されたホームズはアイリーンと恋人との結婚式に参加させられるなど、さまざまな事態に巻き込まれながらも、変装と策略を駆使してアイリーンの家に入り込み、発煙筒で偽りの火事を作り出して写真の隠し場所を突き止める。しかし、アイリーンはホームズの正体を見破っていたのだった。男装して彼の後をつけると、こう声をかける。「こんばんは、ホームズさん」
翌朝、目的の写真とともに国外へと旅立ったアイリーン。ホームズは依頼を果たせなかったものの国王は満足し、ホームズは謝礼の代わりにアイリーンが残した彼女の写真を求めた。
作中で彼女はすでに亡くなっていることが明示されており、彼女が登場するのはこの一作しかない。しかし、女性を軽視しながらもその女性に出し抜かれ、かつそれを称賛するというホームズの姿に魅了されるのか、ホームズ譚の中でも人気が高い。(池田進一)
ドイルが「違うものが書きたい」といったんは作中でホームズを死なせ、物語を終わらせたが、読者からのごうごうたる非難でそれを撤回せざるを得なかったことからも、人気の高さがうかがえる。
映像化も多くされたが、中でも英グラナダテレビが作成したドラマ版でジェレミー・ブレットが演じたホームズの評価は特に高い。
シャーロック・ホームズ
英作家、コナン・ドイルが作り出した世界初の諮問探偵であるホームズ。19世紀末から20世紀初頭にかけての、主にロンドンを舞台に繰り広げられる探偵物語は世界中で愛され、彼が登場する短編56作と長編4作は「聖典(正典)」とまで称されるようになった。