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大鷲にさらわれた息子を30年捜し続けた母の狂気と愛 結末に胸が熱くなる「良弁杉由来」 名作偏愛エマキ

産経ニュース 2025年2月1日 12時0分

母の愛、それはこの世で最も深い愛であるがゆえに、突然わが子を奪われ失った母の嘆きと怒り、執着は、ときに狂気という形で表出する。喪失の瞬間から時が止まったまま、狂乱の中でわが子を捜し歩く哀れさを描いた作品の代表が能「隅田川」だが、文楽や歌舞伎で演じられる「良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)」もその一つ。ただ、悲劇の「隅田川」に対し、今作は親子の再会という救いが胸を熱くする。

死別した夫との間の愛息、光丸(みつまる)を連れ、渚の方は近江国志賀の里(現滋賀県)の茶畑へ物見遊山に来ていた。穏やかな親子の時間を引き裂いたのは、強烈な山嵐とともに急滑降した大鷲。その大きな鉤爪(かぎづめ)で小さな光丸をつかむと、一気に大空に舞い上がった。

渚の方は悲鳴を上げながら、お供の腰元たちを振り切り、茶畑を踏み越えて大鷲を追う。そこから始まるのが、半狂乱になった母の30年に及ぶ放浪の旅だ。

時は移ろい、春の大坂。物乞いのような姿でさまよう老女こそ、あの美しかった渚の方のなれの果てだ。川の水面に老いたわが身を見つけ、ハッと正気に返る瞬間が残酷で切ない。30年という現実を初めて直視し、わが子の死を悟って乗った舟。そこで偶然聞いたのが、鷲にさらわれた過去がある東大寺の高僧、良弁の噂だった。

良弁は幼い頃、東大寺二月堂前の杉の木のこずえに引っかかっていたのを当時の僧正に助けられ、今は大僧正となり尊敬を集めている。だが、胸の内では父母への思いを募らせていた。

渚の方が光丸に持たせていた守り袋が証しとなり、二月堂の前で親子はついに奇跡の再会を果たす。憑き物が落ちたように慈母の顔付きでわが子をいとおしむ渚の方と、慈愛に満ちた高僧としての顔を涙で崩し、幼子のような表情で母の手を取る良弁の姿が、親子の永遠の情を鮮やかに描き出す。

狂気と隣り合わせにある母の愛ほど強く、悲しく、あたたかいものはない。(田中佐和)

良弁(ろうべん)

奈良時代の僧侶。聖武天皇の命で東大寺建立に尽力して初代別当(寺務の総裁)となり、同寺の基盤を作った。773年に85歳で没したとされる。平安末期の仏教説話集などに、幼い頃に大鷲にさらわれた話があり、それを題材に「良弁杉由来」が創作された。

今も目の前に杉の木がそびえる二月堂では3月に、「お水取り」の名で知られる人々の幸福を願う行事「修二会(しゅにえ)」の本行が行われる。1~14日に毎晩上がる巨大な「お松明(たいまつ)」は、二月堂から豪快に火の粉が舞い散る、迫力ある光景で人々を魅了している。

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