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「取り残された砂漠のような場所」から発展 横浜駅西口を変えた横浜高島屋の65年の歩み

産経ニュース 2024年10月26日 9時0分

ハマっ子をはじめ多くの人たちに親しまれてきた横浜高島屋(横浜市西区)が今月、開業65周年を迎えた。横浜駅西口の「顔」である同店は、かつて資材置き場だった西口周辺がにぎやかな商業地へ発展するさきがけとなった存在だ。駅西口を再び「大改造」する街づくり計画が始動する中、次の時代へと歴史を刻む。

関東大震災で大火災

今月、開業65周年を記念して、正面玄関に文房具の丸シールを数千枚使って描かれた風景画「〝近未来のヨコハマ〟」などが飾られた。制作した大村雪乃さんは幼少期を横浜で過ごし、作品にも横浜の風景を取り入れることが多い。

同店は年明けから数々の記念行事を実施し、横浜ゆかりの写真家や現代アーティストが参加してきた。大村さんは「幼いころから横浜高島屋のファン。子供服やケーキを買ってもらった思い出が深い店で、展示の機会を頂いて光栄に思う」と笑顔で語った。

同店が立地する横浜駅西口の周辺は、関東大震災で大火災に見舞われた後に再建が進まず、戦時中は海軍の資材置き場として、戦後は進駐軍の砂利置き場となっていた。そこを相模鉄道が昭和27(1952)年に買い受けて駅前整備の目玉として大型商業施設の建設を計画し、高島屋に白羽の矢をたてた。

地域密着のパイオニア

高島屋の社史によると、相鉄から誘致を受けた当初は「都心に取り残された砂漠のような場所」とあって出店に慎重な姿勢だったという。しかし当時、横浜駅の乗降客・乗り換え客数が一日85万人に上っていたことから駅西口も「将来は一大商業センターになり得る場所」と予測し、大きな一歩を踏み出す。

31年に前身の「高島屋ストア」を開業し、その成功を受けて34年10月1日に横浜高島屋をオープン。高度経済成長とともに周辺の開発が加速すると、横浜高島屋は西口発展のパイオニアと呼ばれるようになった。

新型コロナウイルス禍が収束し、百貨店業界がインバウンド(訪日客)需要を需要で沸く中、同店の免税販売の比率は4%前後で高い数字とはいえない。裏を返せば「地域のファンに長年愛されている証し」だと、竹下真店長は胸を張る。「この強みを生かして、今後も地域に溶け込む店舗運営に努めたい」。その言葉には地域とともに成長してきたことへの思いが込められている。

相鉄が西口大改造構想

西口の開発を導いた相鉄ホールディングス(HD)と相鉄アーバンクリエイツは先月、2040年代の実現を目指す「横浜駅西口大改造構想」を発表した。多様なウェルビーイング(心身の健康や幸福)の創造、追求を掲げ、商業施設のほか、高機能なオフィス、24時間楽しめるエンターテインメントスポットなどを提案する。

「西口の開発着手から70年以上たち、再構築の時期を迎えている」という滝沢秀之・相鉄HD社長の意欲に対し、竹下店長も「これまで地域の発展に貢献してきた自負がある。次の時代に向け進化を続けたい」と話している。(山沢義徳)

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