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乗客乗員68人死亡、旅客機「ばんだい号」墜落事故53年 元日航機長らが語り継ぐ教訓

産経ニュース 2024年8月19日 11時0分

単独の航空事故としての死者数が世界最悪となった昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故から今夏で39年。今年も遺族らが群馬県上野村にある現場の「御巣鷹(おすたか)の尾根」に慰霊登山し、犠牲者をしのんだ。その14年前に起きた、もう一つの悲劇を知っているだろうか。東亜国内航空(現日本航空)のYS-11機「ばんだい号」が函館空港近くの横津岳に墜落し、68人全員が犠牲となった事故だ。航空史における重大事故の一つに数えられるが、記憶に留める人は少ない。

難を逃れた父

6月下旬、京都市東山区の泉涌寺(せんにゅうじ)。塔頭(たっちゅう)の一つ、善能寺の本堂「祥空殿(しょうくうでん)」でばんだい号墜落事故犠牲者の慰霊法要が営まれた。僧侶の読経が境内にこだまし、犠牲者らを慰める願文(がんもん)が厳かに唱えられた。そこには事故で京都大3回生だった弟、幸三(こうぞう)さん=当時(21)=を亡くした大阪大名誉教授の谷本親伯(ちかおさ)さん(80)=神戸市=と、陸男(みちお)さん(75)=京都市上京区=兄弟をはじめとする遺族らの姿があった。

事故は昭和46年7月3日夕刻に起きた。丘珠空港(札幌市)から函館空港に向かっていたばんだい号が七飯町の横津岳中腹に墜落。乗客乗員合わせて68人全員が犠牲となった。谷本さんの父、庄蔵さんが経営する会社の幹部社員5人も命を落とした。庄蔵さんは別便に搭乗し、難を逃れたという。

薄れゆく記憶

遭難するはずの身が不思議な運命で生き延びることに-。庄蔵さんは、仏縁のあった泉涌寺の藤田俊教(しゅんきょう)師らに「何かできることはないか」と相談。2人は飛行機の乗務員と整備士として、それぞれ戦争に関わった過去があった。ここで藤田師が兼務住職を務め、廃寺同然になっていた善能寺に航空殉難者を慰霊する堂を建てる案が浮上した。

事故翌年の11月、庄蔵さんが私財を投じて建立した祥空殿で落慶法要が行われた。当時を知る藤田師の長男で今熊野観音寺の藤田浩哉(こうさい)住職(76)は「一財を尽くして供養の誠をささげる。なかなかできないことです。庄蔵さんの気持ちを大事に、事故の根絶を願いながら法要を引き継いでいきたい」と静かに語った。

事故から半世紀以上が過ぎ、参列者は今では10人ほどに減った。陸男さんも「遺族も代替わりして、記憶がだんだん薄れていく。観光で寺を訪れた人でもいいから慰霊堂のことを知って手を合わせてほしい」と話す。

新たな語り部

そんな中、予期せぬ出来事が今年の法要であった。それは日本航空の元機長、舘野洋彰さん(65)と元整備士の佐藤二郎さん(73)という、現場を知る航空関係者の参列だった。

2人は現役時代からそれぞれの立場で航空の安全に深く関与。パイロットになる以前から航空機事故の原因究明と調査に関心を寄せていた舘野さんは、航空会社のパイロット協会のリーダーとして、国内外の事故の調査に長年関わってきた。また、さまざまな航空事故の現場を訪れるなど慰霊活動も行っている。

現在では日航ジャンボ機事故でさえリアルタイムで知る社員はごくわずか。舘野さんは「まさか遺族の方とこうして話ができるとは」と驚き、「原因究明と再発防止、遺族の気持ちを風化させない取り組みが重要。〝語り部〟として伝えていきたい」と力を込めた。佐藤さんは「50年は1つの節目。コロナ禍で動けなかったが、もっと早く参列すべきだった。きょうの体験を多くの人に伝えたい」と話した。

こうした新たな動きは、遺族の力にもなる。岩盤力学やトンネル工学が専門の谷本さんは、地盤やトンネルの事故が起こるたび、安全面と事故の再発防止で警鐘を鳴らし続けてきた。過去のさまざまな事故で、事故原因についての調査が不十分だったり、広く理解されなかったりしたことなどが事故を繰り返す原因になると考え、その点で舘野さんや佐藤さんと意見が一致した。

「弟のことは今も思い出す。事故から半世紀というが、家族にとっては昨日(起きたできごと)と何も変わらない」と谷本さん。「安全を考え、再発防止の教訓を社会に周知させることが重要だ」と話した。(田中幸美)

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