小学生のときに読んだ十返舎一九の「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」を読み返した。弥次(やじ)さんこと弥次郎兵衛と、喜多(きた)さんこと喜多八の珍道中として知られるが、妻と死別したり、勤務先を解雇されたりした2人の心を癒やす旅物語でもある、はずである。
物語で有名なのが「五右衛門 ごえもん 風呂」のエピソードだ。初見の弥次さんは、ふた代わりの底板を沈めて入るのを知らない。板を外して入るもアチチ。すると便所に備え付けのゲタを見つけてピンときて、入湯を果たす。
続きまして、喜多さんの挑戦です。意地悪な弥次さんは、入り方を聞かれてもテキトーな説明しかしない。しかし、勘のいい喜多さんは弥次さんが隠したゲタを見つけてわが意を得たり。湯につかり「慣れると熱くもねぇ」といい気になったが、だんだん熱くなってきてゲタをはいた足でジタバタしたら、風呂の底が抜けて湯が流れ出す。尻もちをつく喜多さんに、弥次さんは笑いが止まらない。
小学生のときに読んだ記憶はここで止まっていた。その後は小学生向けの現代語訳から割愛されていたのかもしれない。
風呂への邪知暴虐に宿の亭主は激怒した。喜多さんは平謝りし、仲裁に入った弥次さんが金を払って一件落着! 続く場面で弥次さんは現金を握らせておいた女がいて遊びに来る云々(うんぬん)。喜多さんは一計を案じ、その女に「あいつは口が臭い」などと吹き込んで…。
酒、女、夜這(よば)い。物語にあふれる言葉は子供心では理解できなかっただろう。今読み返せば江戸時代の庶民の暮らしぶりが分かるし、挟み込まれる短歌は知的かつ軽妙だ。子供心に抱いた愉快な珍道中という記憶。そんな表面的な印象にとどめておくのはもったいなかったな、とも言い切れない、何だか男として申し訳ないなという感情を抱いている。(渡部圭介)