Infoseek 楽天

「時の記念日」ゆかりの地 清流とともに時を知らせ続ける巨大漏刻 滋賀・近江神宮 西日本の水

産経ニュース 2024年8月12日 10時0分

日本の時刻制度の始まりは「漏刻(ろうこく)」(水時計)とされる。『日本書紀』によると、近江神宮(大津市)の祭神・天智天皇が、時を認識することが社会・文化の発展に不可欠と考え、671年、都の近江大津宮に漏刻を創設し、時報を開始したことに由来する。後に太陽暦に換算した6月10日が「時の記念日」と制定された。近江神宮の境内には奉納品の巨大な漏刻が設置されており、いまも清涼な水の流れとともに時を刻み続けている。

一定の水流

漏刻は水の流れが一定であることを利用した時計。複数段ある水槽の最上段から順に水が流れ落ち、最下段の水槽に入ると水量が増す。すると最下段に設置した矢が浮き上がり、矢の目盛りを読むと時刻を知ることができる。水槽を複数段にすることで水量や水圧、流量を安定化させ、より正確性を高めている。

ただ当時は現代のような濾過(ろか)された水道水はなかったため、不純物が混じり、導水管が詰まるなどして不安定化するトラブルがあった。冬季の凍結防止や夜間運用のため、灯明を用意したり監視役を配置したりする苦労も。複数の漏刻を使用して時刻を比較したり、別途日時計で計測した時刻で誤差を補正したりしたこともあるという。

「なかなか運用は難儀だったことが文献からもうかがえます」と近江神宮の禰宜(ねぎ)、岩崎謙治さん。「恐らく時を知る最も古い手段は太陽で時を知る日時計でしょうが、より安定して正確に時を知るための機器として、水の流れを利用した漏刻が発明されたのでは。それだけ人類と水の関わりが深いことが分かります」と推測する。

「時の記念日」制定

近江神宮によると、天智天皇は671年に漏刻を作り、近江大津宮の新台に設置。鐘や太鼓を鳴らして時報を始めたという。

しかし実はその少し前、斉明天皇時代の660年にも、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(天智天皇の皇子時代)が漏刻を作ったとの記述もあり、「どちらが初めてか、よく分かっていません」と岩崎さん。

660年の記録には日付がなく、結局、日付のある671年の記録を太陽暦に換算した6月10日が大正9年、「時の記念日」に制定された。

現在も続く

「時の記念日」制定を機に、全国各地で寺社や企業などが当日正午に鐘や太鼓を打ち鳴らしたり、記念講演や展示などを開催したりするようになり、恒例行事として普及。知名度は上がった。

昭和15年11月には、大津ゆかりの天智天皇を祭る神社がほしいとする地元の強い要望を背景に、近江神宮が創建された。

翌16年6月10日の時の記念日には第1回「漏刻祭」を開催。その後絶えることなく現在まで続いている。今年も王朝装束などを身につけた時計業界の関係者らが、新製品の時計を厳かに神前に奉納。時計の歴史の進展を報告し、一層の発展を祈願した。

境内には、スイスの高級時計ブランドの代理店から奉納された巨大な漏刻も置かれ、とうとうと水が流れ出ている。

近江神宮は水との縁も深く、京都府と滋賀県の境に近い大津市西部の山中に発した柳川の清流がそばを通り抜け、琵琶湖へと注いでいる。

岩崎さんは「神社の漏刻の水や川の清流に、時の流れを感じてもらえれば」と話している。(土塚英樹)

近江神宮 最寄り駅は京阪石山坂本線・近江神宮前駅。境内には、昭和38年に「時計博物館」として開館し、平成22年にリニューアルした「時計館」などがあり、古今東西の珍しい時計を中心に展示している。月曜休館(月曜が祝日・休日の場合は開館)。午前9時半~午後4時半。観覧料は一般300円、小・中学生150円。問い合わせは近江神宮(077・522・3725)。

この記事の関連ニュース