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「光る君へ」藤原道長の始祖は大阪に眠る 副葬品解析から見えてきた「鎌足ゆかりの冠」

産経ニュース 2024年11月24日 11時0分

90年前に大阪府高槻市の阿武山(あぶやま)古墳で出土した副葬品が、飛鳥時代の大化の改新で定められた最高位の冠「大織冠(たいしょくかん)」の特徴と一致することが牟田口章人・帝塚山大客員教授の調査で分かった。大織冠は大化の改新の立役者で、平安時代に摂関政治で最盛期を極めた藤原道長の始祖となる藤原鎌足(かまたり)に与えられており、被葬者を鎌足とする説がより有力となった。付近には別邸もあったとされ、鎌足ゆかりの地だったようだ。

エックス線写真解析で判明

阿武山古墳は北摂山系・阿武山からの尾根筋に位置し、昭和9年に京都大の地震観測所地下で見つかった。石室内に麻布を漆で固めた棺があり、男性被葬者の頭部付近には金糸なども残っていた。だがその後は、本格的な調査は行われないまま埋め戻された。

事態が動いたのは昭和57年。当時、民間放送の記者だった牟田口氏は観測所で発見直後に撮影したエックス線写真などを見つけた。京大に発足した研究会が調べたところ、男性が晩年は脊椎骨折で下半身不随となり、ヒ素を薬として服用していたらしいことが判明。さらに、頭部付近の金糸は織物の冠を構成していたとみられ、被葬者が大織冠を与えられた鎌足である可能性が高まった。

令和4年から今年にかけて牟田口氏はエックス線写真の画像解析を進め、複数の金糸が折り返して密集している箇所を発見。これは綴織(つづれおり)という織り方の特徴で、日本書紀によると大織冠は織物で綴織の一種とされることから被葬者は鎌足と判断した。花文様がアップリケされていることも確認したほか、棺内には大化の冠位制度にある鐙冠(つぼこうぶり)の断片らしい布片があることも突き止めた。

牟田口氏は「2つの冠があったらしいことが分かり意義深い。阿武山古墳は具体的な人物を被葬者として論じられる貴重な例となる」と語る。

筋肉隆々の武人

鎌足は藤原姓が与えられ藤原氏の始祖となる以前は中臣(なかとみ)氏で、生誕地は大和国高市郡(現在の奈良県高市郡、橿原市周辺)などとされる。中臣氏は祭祀(さいし)を司った有力氏族で、仏教の受け入れを巡り物部氏とともに蘇我氏と対立した。

日本書紀は鎌足について「人となりが忠正で世を正そうという心があった」などと記すが、牟田口氏はエックス線写真から「背が高く、筋骨隆々で武人としては(張りが強い)強弓の使い手だったのでは」と推測。さらに、鎌足が作り上げたとされる大化の薄葬令から「三国志のような中国の古典にも通暁したインテリだったのでしょう」とも考える。

鎌足は蘇我氏を倒すために軽皇子(かるのみこ)(後の孝徳天皇)に、その後は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(後の天智天皇)に接近。飛鳥(奈良県明日香村)の法興寺(飛鳥寺)の槻(つき)の木(ケヤキ)の下で蹴鞠(けまり)をした際に中大兄のくつがぬげ、それを鎌足が拾ったことをきっかけに2人が親密になったというエピソードは有名だ。

中大兄と鎌足が大化の改新につながる「乙巳(いっし)の変」を起こしたのは翌645年。飛鳥板蓋(いたぶき)宮で蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺し、権力を振るっていた蘇我氏は滅亡した。軽皇子は即位して孝徳天皇に、中大兄は皇太子となり、鎌足は側近として活躍した。

天智8(669)年、天皇は大海人(おおあま)皇子に鎌足の家を訪ねさせ、大織冠と大臣の位、そして藤原の姓を与えた。鎌足が50代半ばで亡くなったのは翌日のことだった。

鎌足にふさわしい地

飛鳥から東南に位置する奈良県桜井市多武峰(とうのみね)。この地に鎮座する談山(たんざん)神社の祭神は藤原鎌足だ。今秋は鎌足に関する社宝を集めた特別展(12月15日まで)も開催している。

鎌足の生涯などを伝える「多武峰縁起」によると、鎌足の長男、定恵(じょうえ)が中国・唐から帰国後に父の遺骨の一部を改葬し、十三重塔と講堂を建て妙楽寺としたのが神社の起源で、墓が当初造られた地は「摂津・阿威山(あいやま)」とされる。阿武山古墳近くには大阪府茨木市安威という地区があり、中臣氏に関連する阿為神社などもある。

日本書紀によると、鎌足は30歳の頃に祭官を務めるよう求められたが、辞退して「摂津・三島」(現在の大阪府茨木市、高槻市など)に住んだ。

一方、鎌足最晩年の頃は、都は天智天皇の近江大津宮。近くの京都市山科区には鎌足の邸宅「陶原(すえはら)家」もあったといい、ここには藤原氏の氏寺となる奈良・興福寺の前身寺院、山階寺(やましなでら)も建立された。

高槻市立埋蔵文化財調査センター学芸員の今西康宏さんは、「阿武山は(孝徳天皇の宮があった南西方向の)難波や(大津に至る)淀川周辺も見渡せる高台で、鎌足が眠るのにふさわしい場所だったのでしょう」と話した。(岩口利一)

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