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日本政府の「賠償責任」を強調した被団協演説 ノーベル賞取材で聞いたオスロ市民リアル評

産経ニュース 2025年2月7日 11時0分

核廃絶運動を続けてきた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が2024年のノーベル平和賞を受賞した。昨年12月、ノルウェー・オスロで行われた授賞式を取材したが、日本との温度差を感じる場面も少なくなかった。今年で戦後80年。被爆の実相を知る世代は減り、だからこそ語り継ぐ意義は大きくなっているが、現地で感じたのは発信の難しさだった。

「受賞者?知らない」

昨年12月8日正午過ぎ、オスロ空港着。関西国際空港からイスタンブールを経由し約21時間の長旅だった。空港ターミナルを出て、電車のホームへ。北欧の風は刺すように冷たい。日照時間が短く、午後3時ごろには日が暮れる。車窓から見える白い大地はもう薄暗くなっていた。

約30分でオスロ中央駅に。被団協の代表団らが宿泊するグランドホテルに向かった。ホテル前から王宮までは約350メートルの一本道。霜が降り、凍った石畳の道の両端に「ノーベル平和賞」「オスロピースデイズ」と英語で書かれたのぼりが掲げられていた。

王宮から西に約600メートル進んだ先にあるノーベル研究所では、日本被団協のアルファベット表記に、折り鶴が描かれた垂れ幕も目にした。街全体でノーベルウィークをもり立てているようにも思えた。

翌日、「街の声」を取りにいった。まず会社員の40代女性に尋ねてみると…。

「今年の平和賞受賞者? 知らない」

記者「日本被団協なんですが」

「何の団体?」

ほか10人ほどに声をかけたが、正答はゼロ。ヒロシマ、ナガサキの被爆者らが核なき世界に向けて活動してきたことが認められたのだと伝えると「それは素晴らしい。核はなくなってほしい」と返ってきたが、どこかありきたりな感想に聞こえてしまった。

翌日の授賞式会場となるオスロ市庁舎前には、日本のメディア関係者が大勢いた。「カメラマンがたくさん来ているが、何かあるのか?」と現地の20代男性に逆に声をかけられた。

原稿になかったアドリブ

現地時間12月10日午後1時から始まった授賞式。荘厳なファンファーレが響く中、被団協代表委員の3人やノルウェー国王が登場した。ノーベル賞委員会のフリードネス委員長が授賞理由などを述べたのち、受賞者スピーチが始まった。

「もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたいと思います」

約20分に及ぶ演説の中で一度だけ、原稿になかった言葉がアドリブで付け加えられた。演台に立った日本被団協の田中熙巳代表委員(92)は帰国後、報道陣に真意を問われると「国民は国の政策を我慢しなくてはいけないという状況があると、感覚的に思っている。それは民主主義ではないということを強調したくて、ああいう言葉になった」と説明した。

オスロ市民はこの演説をどう受け止めたのか。式典の夜、市内で行われたたいまつパレードに参加した団体職員のクラウス・ラーグネターさん(58)は、田中さんが自らの被爆体験を語った場面を引き合いに「二度と同じ被害者を出してはいけない。核の悲惨さが分かるスピーチだった」と話した。一方で日本政府の賠償責任に触れたことについて感想を聞くと「複雑なことなので、あまりよく分からなかった」と率直に語った。

戦争損害と受忍論

戦争損害を巡っては、最高裁大法廷が昭和43年に国民の補償請求権を否定。「戦争中から戦後占領時代にかけての国の存亡にかかわる非常事態にあっては、国民のすべてが、多かれ少なかれ、その生命、身体、財産の犠牲をたえ忍ぶべく余儀なくされていたのであって、これらの犠牲は、いずれも、戦争犠牲または戦争損害として、国民のひとしく受忍しなければならなかったところであり…これに対する補償は、憲法の全く予想しないところというべきである」と判示し、補償の要否を立法府の裁量に委ねている。

さらに当時の厚生大臣の委嘱を受けた原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)は同55年、最高裁判決を踏まえ、被爆者対策の基本理念として「法律論として、開戦、講和というような、いわゆる政治行為(統治行為)について、国の不法行為責任など法律上の責任を追及し、その法律的救済を求める途は開かれていない」と言及している。

被団協はこれまで、最高裁のいわゆる「戦争被害受忍論」や基本懇の意見を繰り返し批判。死没者補償を含めた「原爆被害者援護法」の制定を基本要求として掲げ、活動の中心に置いてきた。法制定により、国民に戦争損害を「受忍」させないことが、再び被爆者をつくらない前提になるというポリシーだ。その意味で、田中さんのアドリブは積年の悲願の表出として理解はできる。

だが昨今の核兵器を巡る国際情勢は、民主主義を理念としない国による現実的な使用の危険性が日増しに高まっているような危機的状況だ。そうした現状において、日本政府の「非民主性」を海外に向けて強調したことが、どれだけ響いただろう。いてつくオスロの街を歩きながら、そんなことを考えた。(木下倫太朗)

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