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人間爆弾「桜花」出撃の大分で特攻ミュージアム構想 目玉展示に国内初・九七式艦上攻撃機

産経ニュース 2024年10月15日 8時0分

先の大戦末期に特攻兵器「桜花(おうか)」が出撃した宇佐海軍航空隊の歴史を伝えるミュージアムの建設が大分県宇佐市で計画されている。令和9年4月の開館を目指している。戦闘機を格納した掩体壕(えんたいごう)など戦争遺構の見学と一体で学ぶフィールドミュージアムとする構想で、桜花や零戦二一型(ゼロ戦)の実物大模型のほか、国内で初めて九七式艦上攻撃機の実物展示が行われる予定。戦後80年が迫り、記憶の継承が課題とされるなかでの新たなミュージアム誕生に注目が集まりそうだ。

歴史の舞台に

宇佐市は大分県北部、国東半島の付け根に位置し、のどかな田園風景が広がる。宇佐海軍航空隊は昭和14年10月1日、艦上攻撃機、艦上爆撃機の搭乗員を養成する練習航空隊として開隊した。

数々の歴史の舞台となっており、16年12月8日のハワイ真珠湾攻撃では、教官を務めた高橋赫一(かくいち)少佐が空母「翔鶴(しょうかく)」の飛行隊長を務め、最初の爆弾を投じたエピソードが伝えられている。また、戦争末期には神風特別攻撃隊の基地となり、154人の飛行兵が特攻で亡くなった。一式陸上攻撃機に装着された特攻兵器「桜花」も出撃した。

こうしたことから、阿川弘之の小説『雲の墓標』や城山三郎の小説『指揮官たちの特攻』の舞台にもなっている。

掩体壕や爆弾池も

市は当初、平和ミュージアム(仮称)の平成32年度開館を目指し準備していた。30年に入札を実施したが不調に終わった。東京五輪の建設費の高騰が影響したという。その後も新型コロナウイルスの感染拡大も重なり、着工は先送りされてきた。

今回、建物の大きさ(2階建て、延べ約3370平方メートル)を縮小することで予算を圧縮、7年度の着工にめどがたった。縮小したとはいえ総工費約8億円を見込む。

市はミュージアム建設にさきがけ、戦後50年を契機に飛行場跡周辺の遺構を購入、史跡に指定、整備、公開してきた。

コンクリート製の屋根のある有蓋掩体壕は10基。屋根のない無蓋掩体壕が1基。旧日本軍基地跡では全国最多級。このうち「城井(じょうい)1号掩体壕」は平成7年に市の史跡に指定した。

文化財指定の戦争遺構としては沖縄県南風原(はえばる)町の陸軍病院壕跡に次いで2番目で広島の原爆ドームより早いという。

ほかに機銃の弾痕が残る落下傘整備所、B29の爆弾跡に水がたまり池のようになった「爆弾池」、幅80メートル、長さ1800メートルあった滑走路跡など10カ所以上が点在する。

戦後、滑走路のコンクリートがはがされ、飛行場跡は水田や住居となった。約100カ所あった爆弾跡は埋め戻されて、今は「爆弾池」だけが残る。

市はレンタサイクルで巡るマップを作成、道案内してくれるスマートフォンのアプリを開発した。ウオーキング、サイクリングで東西1200メートル、南北1300メートルあった基地のスケールが体感できる。

攻撃を受ける戦艦大和の映像も

ミュージアムで公開される予定の映像は地元の郷土史研究グループが10年以上かけて米国立公文書館の史料から発掘。戦果確認のため米軍機に装備されたガンカメラがとらえた本土空襲などの映像だ。米軍機の攻撃を受ける戦艦大和の映像もあり、話題となりそうだ。

当初の予定よりも開館が遅れたため、市は平成25年から、収蔵品4000点の一部を暫定施設「平和資料館」で公開している。

「人間爆弾」と称された桜花の実物大模型とともに風防ガラスや噴射管の実物を展示している。元搭乗員の証言映像や遺品、遺書からは生きては帰れぬ特攻の悲惨さがうかがえる。

宇佐では桜花による最初の特攻が計画されていたが、昭和20年3月18日、米軍の空襲で桜花を装着、出撃準備中だった一式陸上攻撃機18機がすべて破壊された。

米国立公文書館から発掘された史料では、沖縄で米兵が捕獲した桜花を調べる映像、宇佐空襲の映像が上映されている。

また、映画「永遠の0」で使われた零式艦上戦闘機二一型の実物大模型も展示している。タイヤは戦闘機「疾風(はやて)」の実物で、操縦席の計器類の細部、機体のさびや傷がリアルに再現されている。

さらに、注目されそうなのが九七式艦上攻撃機だ。令和3年に種子島沖で発見、引き揚げられた。傷みは激しいが、国内で唯一の展示で希少価値は高い。

ミュージアムは教育施設という位置づけで学生以下は無料とする予定だ。ボランティアガイドを公募、研修が始まっている。宇佐市の相良順一平和ミュージアム建設準備室長は「史料と遺構と一体で戦争を学ぶフィールドミュージアムで、ほかの類似施設とは一線を画した独自性を追求したい」と話している。(安東義隆)

桜花 昭和19年に海軍航空技術廠が開発した特攻兵器。1人で乗り込み機体ごと体当たりすることから「人間爆弾」と呼ばれた。一式陸上攻撃機につるして運ばれ、敵艦を発見すると切り離され、尾部にある3本の火薬ロケットを順番に噴射、時速600キロメートル以上に加速し突入した。護衛の戦闘機をつけることができず一式陸攻ごと撃墜されることが多かった。

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