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一つずつ積み重ねて五輪まで そしてパリの先へ 斉藤三恵子さん 柔の道、寄り添う

産経ニュース 2024年7月24日 9時0分

いよいよパリ五輪が26日に開幕します。次男の立が代表の内定をいただいてから約11カ月、本当にあっという間でした。母親として、その時々にできることを一生懸命サポートしてきたつもりです。それでも「もっと、こうしておけばよかったのかな」という思いは尽きません。

7月の初旬から東京に行き、主に食事面や送迎のサポートをしていました。上旬は追い込みの時期で一日3部練習をするなど、かなりきつそうにしていました。最重量級の立の場合は稽古相手を探すことも課題となるので、あちこちと出稽古にも行きました。

五輪の組み合わせに関わるランキングを上げるために、6月下旬に急遽(きゅうきょ)、大会に参加したペルーから帰国した後は、少し時差ボケにも苦しみましたが、どんな大会でも優勝というのは気持ちがいいことだし、前向きに捉えています。

また、柔道界ではロシア勢のパリ五輪不参加というニュースもありました。100キロ超級では有力選手のイナル・タソエフ選手が出なくなるので、シードを持つ立の組み合わせにも影響はあります。それでも、立は「結局は全員倒さなあかんし、同じや」と言っていて、心が揺れ動くようなことはありませんでした。

普段から気持ちを表に出すような子ではないので内心は分かりませんが、緊張感が高まってきているのは実感しています。そんな中で最近ふと感じたのは、ネガティブな言葉を出さなくなったということです。言霊ではないですが「優勝する」という言葉しか発していなくて、勝つ気しかないんだということを改めて感じています。

わが家にとって、五輪は身近なものだったような気がします。夫は金メダリストであるだけでなく、長男の一郎が生まれた後の2000年シドニー大会は日本代表コーチとして、立が生まれた後の04年アテネ大会と08年北京大会は男子代表監督として挑む夫を送り出しました。

シドニー五輪の100キロ超級決勝で篠原信一さんが疑惑の判定に見舞われたとき、コーチスボックスで大声を上げている夫の姿は、その後のテレビでも何度も映ったので息子たちは喜んで見ていました。アテネ、北京のときもスタンドで姿が見えると「お父さん、ここにいるよ」とか言いながら観戦していましたね。

それでも、やはり立が出場する立場になると、代表に選んでいただくまでの期間やそこからの準備期間も含めて、五輪出場は本当に大変なことだなと改めて感じています。今、ここに夫がいたらどうしていたんだろうということはよく想像してしまいます。

今月5日には日本選手団の結団式がありました。ブレザーはフランスを意識したカラーにもなっていたみたいで、おしゃれな感じがしてかっこよかったです。私も観客席から見させていただいたのですが、選手たちが並んでいる姿を見たら胸が熱くなりました。どの競技でも、みんな子供の頃から頑張ってきて、一人一人に家族とのエピソードや本人の努力があるんだろうなと想像して、胸がいっぱいになりましたね。

夫が亡くなってから約9年半、大変なこともたくさんありました。小さな大会から一つずつ勝って強くなって、五輪まで道がつながったのだと思います。小学生の頃に「五輪って出場するだけでも本当に大変なことやね。一つ一つこういう小さい大会を勝って、最後まで積み重ねていかなあかんねんね」と話していたこともありました。振り返ると、そんな頃が思い浮かんできます。立が決して腐らず、私自身も周りのたくさんの先生方に助けていただいたおかげで、ここまで来ることができました。本当にありがたい限りです。

立の場合は、どうしても夫がセットになって振り返られますが、本人もそれを誇りに思っています。だからこちらが心配することは多くはありません。パリが終われば、28年ロサンゼルス五輪に向かう4年間が始まります。親として、これからも心配は尽きないと思いますが、長く続く柔の道にずっと寄り添っていければと思っています。=おわり

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