指導者としての初の春高は、16強で幕を閉じた。「ジャパネット杯 春の高校バレー」として行われる第77回全日本バレーボール高等学校選手権大会で、女子の松山東雲(愛媛)を率いた星加輝(ほしか・ひかる)さんは、一昨年までVリーグ1部(現SVリーグ)のKUROBEでセッターとして活躍した。恩師の言葉に導かれ、飛び込んだ新天地での1年を駆け抜け、「最後はいいチームになれた」と振り返った。
恩師の熱意で指導の道へ
男女計104校の監督の中でも最年少の28歳は、昨年4月に母校の監督に就任した。両足首の大けがで選手生命を絶たれ、2023年5月に現役を引退。一昨年の夏、KUROBEで広報をしていた星加さんを訪ねてきた松山東雲の前監督、原田秀樹さん(70)から熱い勧誘を受けた。
「俺のバレー人生を変えたのはお前やから、次はお前の人生を俺が変えに来た」
2人の出会いは09年までさかのぼる。原田さんのいた公立中学校に星加さんが入学。運動能力の高さと手を抜かない姿に、「もっとバレーに集中できる環境を整えてあげれば、伸びるんじゃないか」と可能性を感じた原田さんが中高一貫の松山東雲に転職し、バレー部を創設したという経緯があった。
原田さんの後を追い、中学2年で松山東雲に転校した星加さんはめきめき力をつけた。中学3年時に全国8強、高校2年時には春高バレー初出場も果たし、全国常連校の礎を築いた。
部の歴史は浅くとも、愛媛県内では強豪校。打診を受けた際は「やはりプレッシャーはありましたし、原田先生が偉大すぎて、私で大丈夫かなという不安もありました」(星加監督)と振り返る。それでも、「指導者として全国に行けるチームをすぐに持たせてもらえる経験なんてめったにない」と数カ月悩んだ末に新たな道に進むことを決めた。
■こだわった「つなぎ」
こだわったのは、自分がプレーしていた当時から大事にしてきた「1本目と2本目の質」だ。「身長が大きい選手が集まるチームではない。じゃあどういう風に全国の舞台で勝ち上がるかとなると、拾ってつなぐバレーが重要になる」と、原田さんのサポートも受けながら選手たちには徹底して指導してきた。
昨夏の全国高校総体は初戦敗退に終わったが、2大会ぶりの春高では2勝をマーク。3回戦では粘りのバレーから、世代別の代表にも選ばれたエース北川美桜(みお、3年)につなぎ、総体4強の東九州龍谷(大分)と渡り合った。
「トップでやってきたからこその幅広い知識を指導にも生かしてくれた。なにより、子供たちの表情が明るくなりましたね」と原田さん。選手と年齢も近く、コート外ではお姉さん的役割も担い、北川は「うまくいかない時に相談相手になってくれた。自分の人生をそれてきてくださって、本当に感謝しています」と涙ながらに頭を下げた。
バレーの指導だけでなく、生徒の引率や保護者との調整など、初めてだらけの出来事に振り回された1年だった。「右も左もわからない状態から、未熟ながらも2回も選手たちに全国の舞台に連れてきてもらい、ありがたい経験をさせてもらった。短い時間で指示する難しさやどう伝えるかとか、指導者ならではの難しさはありました」と星加監督。まだまだ挑戦は道半ば。生徒ともに悩み、もがきながら、新たな〝東雲バレー〟の歴史を築いていく。(川峯千尋)