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五輪銀メダルの岡田、吉岡組の対照的な歩みとラストレース セーリング界発展への思い胸に

産経ニュース 2024年8月24日 9時0分

パリ五輪のセーリング混合470級で銀メダルを獲得した岡田奎樹(トヨタ自動車東日本)、吉岡美帆(ベネッセ)組が21日に始まった全日本470級選手権(江の島ヨットハーバー)でラストレースに臨んでいる。日本セーリング界に20年ぶりのメダルをもたらしたペアを解消する意向で、お互い新たな道を歩み出す。

ペア結成は2021年東京五輪終了後。470級はパリ五輪から男女混合種目に変更され、男女別で東京五輪に出場した実績のある2人が組んだのは自然な流れだった。お互い言葉にこそ出さなかったが「このチームが1番、メダルを取れると思っていた」と岡田。メダルへの船旅が始まった。

「風を読む天才」と称され、競技を語り出したら止まらないスキッパーの岡田と、口数は多くないが、粘り強く努力するクルーの吉岡。性格だけでなく、競技者として歩んできた道も対照的だ。

岡田は5歳から競技を始めた。小学3年生で出場した全日本OP級選手権小学校の部で優勝するなど、早くから頭角を現した。高校時代には、1996年アトランタ五輪銀メダリストの重由美子さんから英才教育も受け、「基礎が大事だとたたき込まれた」と振り返る。セーリング界のサラブレッドとして期待され、初出場の東京五輪では7位入賞を果たした。

一方、吉岡は高校時代に部活動として始めた。大学卒業後、競技から離れようと考えていたとき、日本を代表するスキッパーの吉田愛さんと出会ったことが転機となった。吉岡は「レースに向かう姿勢など色々なことを学んだ」と吉田さんに感謝する。吉田さんとは2013年からペアを組み、五輪は16年リオデジャネイロ大会から2大会連続出場。メダル候補として臨んだ東京大会は7位だった。

当初は、男女ペアに戸惑いもあった。吉岡は「男性スキッパーのスピードやパワーについてくことに苦労した」と振り返る。海上はもちろん、陸に上がってからも、動作を一から見直して練習を重ねた。インターバルトレーニングを取り入れ、瞬発力を鍛えた。

岡田も「(東京五輪では)ガムシャラにやっていたが、体力や技術的な限界を聞くようになった」と冷静に戦略を立てるようになった。昨年8月の世界選手権で優勝。海外勢からマークされる存在となった。

迎えたパリ五輪本番。岡田、吉岡組は全体3位で上位10艇で争うメダルレースに進んだ。メダルを確実に取るためには、点差が近い艇をマークしながらレースを展開するのが定番だ。吉岡も「確実にメダルが欲しかった」と4位の艇を抑えにいく案を提案した。

しかし、岡田の考えは違った。ここまでの8レースの結果を踏まえ、相手に合わせたコースどりよりも、自分たちが有利だと思うコースを選択する案を提示した。風を読むことにたけている岡田だからこそ可能な戦略。吉岡は「(岡田が)自信を持っていた。私もその自信を信じようと思った」と、岡田の案で勝負に挑むことを決めた。

メダルレースは作戦が見事に当たった。ライバル艇が右方向へ進路を取る中、大胆に左方向を選択し、3位でゴール。総合得点で2位に浮上し、銀メダルを手にした。

試合後、岡田は「吉岡さんのように身長が高く(177センチ)て、気合がある選手とはそう簡単にはめぐりあえない。チャンスを逃さずメダルを取ったのはすごいこと」と喜び、吉岡は「私は特別にヨットのセンスがあるわけではないと思う。そんな私を引っ張って、信じ続けてくれて、ありがとうと言いたい」と感謝した。

パリ五輪を終えての心境も対照的だ。岡田は「うれしいというのがベースにありつつ、その中に悔しさなど色々な感情が入り交じったのがメダルをかけてもらったときの気持ち。もう一段、上のメダルを目指したい」と28年ロサンゼルス五輪に挑戦する意向を示した。470級にはこだわっておらず「別の種目に行って、セーリング界全体を盛り上げていくこともできると思う」と、種目変更の可能性も示唆した。一方、吉岡は「実力を出し切ったので満足かなという気持ちがある。五輪に3回挑戦したが、費やすエネルギーはものすごい。我慢してきたことも沢山あるし、あと4年間、頑張れる自信がない」と明かし、第一線を退く可能性を口にした。

全日本470級選手権がペアとして一区切りとなる。激戦を戦い抜いた疲れを取る暇もなく、出場を決めたのは「還元できる技術や価値観を提供したい」(岡田)との思いからだ。「五輪を目指す選手がもっと出てきてほしい。憧れを持ってもらえるような走りを見てほしい」と吉岡。セーリング界の発展を願う思いは、合致していた。(運動部 神田さやか)

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