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1970年のお祭り広場に現出した「調和」 混沌の現代、大阪から「文化の集積地」再び 万博未来考 第4部(3)

産経ニュース 2024年12月18日 7時0分

多彩なパビリオンが並んだ1970年大阪万博。大屋根の下には「お祭り広場」が設けられた。万国から人が集まる博覧会の広場に込められた理念は、現代の万博の在り方を問う。

「世界の人々を、文化を呼んだ」。1970(昭和45)年の万博で会場設計に携わった建築学者、上田篤さんはそう振り返った。

モデルは神社の御旅所

1851年のロンドンから始まった万博はもともと、国の権勢や繁栄を示す場だった。大阪でアジア初の万博開催にあたり、「科学技術の博覧会では、発展途上国が参加できない」と考えた上田さんらは「文化の集積地」を志向した。

「広場」の原案を任された上田さん。「人が集まる伝統的な空間」として、お祭りが行われる神社の御旅所(おたびしょ)を着想した。観覧席となる桟敷が何段も並ぶ香川・小豆島(しょうどしま)にある亀山八幡宮の御旅所をモデルに描いたのが、「お祭り広場」だった。

大屋根の下で各国の祭りや催しが披露される。「産業の博覧会をやりながら、広場はイベントで人でごったがえす。万国はちゃめちゃ博覧会だった」と上田さん。時は東西冷戦のさなか。さまざまな国の人々が一堂に会するにぎやかな情景は、大阪万博の記憶に欠かせないものとなった。

大阪万博ではアジアを中心とした国々が、仏像など自国の仏教関連の造形物を持ち寄った。和光大の講師で宗教学者の君島彩子さんはその意義を、「各国が仏教という共通の文化を通して日本との友好を図った」と話す。

キリスト教圏外では初めての開催でもあった大阪万博。日本は1873年のウィーン万博以降、鎌倉大仏の模型など仏教関連の造形物を出展してきたが、君島さんは「西洋のオリエンタリズムを受けた演出であり、インパクトのある見せ物に過ぎなかった」と語る。

大阪万博会場にあった仏教関連の造形物には、来場した日本人が賽銭(さいせん)を置いたという。つまり万博で初めて、仏像が宗教性を帯びた形で展示された。訪れた西洋の人たちにとり、「見せ物」ではなく「信仰」として仏教文化に触れ、相互理解を深める機会になった。

君島さんは「万博に来たなら、京都や奈良のお寺を観光した人もいたはず。目で見て肌で触れて、より理解を深められたのでは」と推察する。

「大阪だからこそ、できることを」

上振れを続ける経費などを巡って、2025年大阪・関西万博の開催意義に懐疑的な声はある。しかし、世界に目を向ければ社会の分断は深まり、ウクライナや中東など、各地で戦火は消えない。混沌(こんとん)に満ちた世界の中で、半世紀前に万博で「人類の進歩と調和」を発した大阪から、再び世界に「調和」を訴える好機でもある。

上田さんによると、1970年万博で「お祭り」を行うことに、国側は難色を示した。国側は産業技術を披露する場と捉えていたのだ。しかし、現場は「文化の集積地」という理念を押し通した。「当時、大阪はちゃらんぽらんだったから」。上田さんはそう振り返り笑みを浮かべた。

世界をつなげる。そんな理念を託された1周約2キロ、幅30メートルの巨大な大屋根(リング)が囲う2025年万博の会場では、会期中は毎夜、音響や照明、プロジェクションマッピングが連動するショーが展開される。ショーのタイトルは「One World, One Planet. ―世界中の願いをつないで、ひとつに。―」。上田さんは「大阪だからこそ、できることをやってほしい」と願う。(藤井沙織)

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