商店街を丸ごとホテルと位置付けて宿泊客に「泊まって、食べて、飲んで、買って」を満喫してもらうユニークな〝商店街ホテル〟が大津市の中心街にある。手掛けたのは滋賀県竜王町の工務店。職人としてだけでなく、地域の行事なども取り仕切る昔ながらの「棟梁(とうりょう)」こそ地域活性化の立役者-。その思いからホテル業界にまで進出した。「現代の棟梁が大津の町屋と商店街をよみがえらせる」と言い切る〝革命児〟に、狙いや戦略を聞いた。
かつて家づくりは地域に住む棟梁が担い、営業や設計、見積もり、監督、工事業務などを統括。現場でも職人に直接指示し、完成まで全責任を背負ってきた。谷口工務店が理想とするのは、そんな棟梁の存在だ。
「家を建てるには、木を切り出すだけでも膨大な数の人手がいる。そんな大集団を束ねたのが棟梁です。単に建築だけでなく、地域の行事、例えば葬式があっても出ていく。棟梁を中心に地域を盛り上げる、まさに立役者なんです」
その原風景ともいえるのが、大工だった父親、三郎さんだ。「昔ながらの仕事一筋の大工」で、休みは月1日程度。いつも周りに人が集まっていた。「あのお客さん、喜んではったやろ」。自分の仕事を誇らしげに語る姿が深く印象に残る。
そんな父親の姿に憧れ、高校では建築を勉強。平成2年、大手ハウスメーカーに就職した。「同期に負けたくない」とがむしゃらに働き、入社4年、22歳という異例のスピードでメーカーの下請け大工に抜擢(ばってき)された。
仕事が順調な一方で、かつて棟梁が統括してきた仕事がメーカーでは極端に分業化され、そんな働き方に次第に疑問を抱くようになった。
「最も大切なお客さまの思いが現場に伝わらず、誰のために家を建てているのか分からない…」。悩んでメーカーからの独立も模索する中、14年、父親の工務店が「倒産寸前」と銀行から知らされた。
そんな危機を、逆にチャンスととらえて退職を決断。「みんなが喜ぶ家づくり」を目指し、元請け業として新たに谷口工務店を開業した。
意気込みとは裏腹に、大きな資本もなく、順風満帆ではなかった。チラシ作りや飛び込み営業、PRイベント開催など、できることは何でもした。
地道な努力が次第に認められ、「谷口さんに(家づくりを)お任せしたい」と、2千万円の札束を入れた紙袋を持参してきた老夫婦もいた。
顧客の開拓だけでなく、社員を大工のプロ集団として育成する社員大工制を採用するなど、人材育成にも注力。23年には「木の家専門店谷口工務店」として法人化させた。
施工エリアは滋賀を中心に、京都や大阪、兵庫、奈良、三重を含む関西エリアに拡大。従業員数は106人(パート社員含む)、施工実績は新築529棟、リフォーム407棟(いずれも昨年7月1日現在)に達している。
そんな会社の成長を支えてきた精神を「家道(やどう)」と表現する。「古くから日本の文化に根付く禅の思想をもとにつくり出した言葉で、お客さまと私たちが共に〝幸せ〟になれる家づくり」と説明し、こう言い切る。
「家道の考え方を世の中に広め、日本の家づくりを変えていきたい」
買って泊まって魅力触れる
平成28年、滋賀県竜王町に本社を構える谷口工務店の支店ともなるショールーム「大津百町スタジオ」を大津市に開設した。なぜ大津市なのか。
「滋賀から日本一を目指す時、支店がいると考えて県庁所在地に目を付けた。早速、大津の街を歩き回ってみました」
かつては東海道五十三次の宿場町「大津百町」としてにぎわいをみせた大津市。それが現代、歩いてみると商店街は空き店舗が目立ち、人もまばら…。そんな現実に愕然(がくぜん)とした。
「建築を通して何か貢献できないか…」。模索する中、JR大津駅前に築100年超の古い町屋をみつけた。古くは商人が素泊まりした簡易宿「木賃宿」で、その後、和菓子屋として使われていたこの建物の改修を計画。一流の建築家や造園業者の協力を得て、「大工の仕事の魅力を最大に引き出す」ショールームを完成させた。
そして次に、いよいよ大津市中心部を走る大津ナカマチ商店街一帯を舞台にした〝商店街ホテル〟構想に乗り出した。
アーケード商店街と平行して走る旧東海道沿いに、全棟スイートの一棟貸しタイプ5棟と、大きな町屋の部屋をリノベーションして客室にしたホテルタイプ2棟の計7棟を展開。商店街をホテルの通路、商店街の飲食店などをホテルのレストランとみなし、宿泊客が自由に街に繰り出して回遊。買い物や飲食を自由に楽しんでもらおうというユニークな取り組みだ。
ただ、実際の工事は「想像以上に大変だった」。今後100年使い続けられるように構造補強や断熱工事にこだわったこともあり、工期は大幅に遅れた。全国各地の知り合いの工務店に協力要請すると、名古屋や新潟など遠方からも大勢の職人が応援に駆けつけてくれた。「本当にうれしかった」と振り返る。
7棟は、大工の力を結集し、できる限り町屋の魅力的な建材を生かしてリノベーションした。町屋の雰囲気と合う北欧家具も備えるなど内装も充実。平成30年に「ホテル講大津百町」としてオープンした。
デザイン性が高く評価され、この年、公益財団法人日本デザイン振興会のグッドデザイン賞も受賞した。
ホテルの点在する大津ナカマチ商店街には、嘉永3(1850)年創業の漬物店や、東京で行列ができる人気店「ぼんご」で修行した弟子が営むおにぎり店など、個性あふれるユニークな店がひしめく。
ホテルの宿泊客は、そんな店を紹介してもらい、実際に訪れて食べたり持ち帰って味わったりすることが可能。ホテル2階の窓からは、ゆったりと時間の流れる商店街の風景を眼下に眺めることもできる。
「商店街で買い物をし、食べて、泊まってもらう。そして宿泊料の一部も大津の街に還元する。ホテルに泊まることで、街が元気になるという企画です」と狙いを語る。
予約件数はオープン翌年の令和元年と比較すると、6年は1・4倍に達する見通し。最近ではインバウンド(訪日外国人観光客)の増加を背景に、日本らしい商店街の魅力に触れたいという外国人の利用者も増えているという。
将来的には、現金がなくても商店街で購入した商品を、後でホテルで一括精算できるようなシステムの構築も検討している。
地域の立役者としての棟梁(とうりょう)を現代に復活させようと取り組むなど、これまで数々の挑戦を続けてきた。それは「買い手よし、売り手よし、世間よし」という近江商人の活動理念にもつながる。
「谷口工務店の取り組みも、最終的には社会貢献につながればいいですね」(土塚英樹)
◇
谷口弘和(たにぐち・ひろかず) 昭和47年、滋賀県竜王町生まれ。父親は大工。県立彦根工業高校(彦根市)で建築を学び、平成2年、大手ハウスメーカーに就職した。6年、ハウスメーカーの下請け大工に。14年ハウスメーカーを退職、元請け業として新たに谷口工務店を開業し、木の家専門店谷口工務店として法人化。30年には大津市内の商店街をコンテンツ化し、「街に泊まって、食べて、飲んで、買って」をコンセプトにした「ホテル講大津百町」を開業させた。