世界遺産・元興寺(奈良市)の旧境内を中心に広がる「ならまち」。豊かな歴史文化が育んだ古き良き町並みだが、インスタ映えするようなメニューをそろえたカフェも並ぶなど、現代的な魅力もあわせ持つ。そこには、伝統を守りつつ、次世代に引き継ごうとする住人らの努力があった。
風情ある町並み
近鉄奈良駅から南へ徒歩10分あまり。細い路地の脇を、黒い瓦屋根に格子の風情ある町家が軒を連ねる。町家は、おしゃれなカフェだったり伝統工芸を扱う雑貨店だったりと、散策していて飽きない。
大和茶の抹茶や米糀甘酒を使った和スイーツを楽しめるのが、カフェ「ならまち 招福庵」だ。いずれも奈良市出身の福本佳史(けいじ)さん(54)、登志子さん(55)夫婦が令和3年にオープンした。
店内では、奈良市などでつくられる赤膚焼(あかはだやき)の茶碗(ちゃわん)で抹茶を楽しむことができ、最近では外国人の観光客も多いという。福本さん夫妻は「古民家の多いならまちは落ち着いた雰囲気で、人があたたかくて優しい。古き良き町並みを肌で感じてほしい」と話す。
庶民信仰を継承
ならまちを歩いていると、それぞれの町家の軒先に紅白の布でつくられたぬいぐるみのようなものがつり下げられているのが目につく。「身代わり申」といって、災いや病魔を退治する「庚申さん」と呼ばれる青面金剛の使いのサルをかたどったお守りだ。目をこらすと、それぞれおなかの部分に「家内安全」や「無病息災」といった願い事が書かれている。
「町中には石仏がたたずんでいるなど、ならまちには古くからの信仰が今も受け継がれている。こうした地域の宝を広めていかないといけない」
こう話すのは、生活民具やならまちに関する資料を扱う民間博物館「奈良町資料館」の南哲朗館長(62)だ。
同館は蚊帳の行商販売を手がけていた先代の故・治さんが、庚申さんなどの廃れつつある庶民信仰を継承しようと、昭和59年に自宅の一部を改装して開設した。以降、同館では身代わり申を製造・販売するとともに、庚申さんへのお参りを受け付けており、今も観光客から地元の人までひっきりなしに訪れる。
地域の良さ発信
ならまちで生まれ育った南さんだが、メーカーの会社員だったころは、転勤で全国各地を転々とした。それぞれに良さはあったが、身に染みたのがふるさとの良さだった。
「貴重な文化財があちらこちらにあり、住人と当たり前のように共存している。こんなところはほかにない」。生まれ育ったならまちへ恩返しをしようと、脱サラして戻り、平成22年には館長を引き継いだ。
庚申さん関連のほかにも活動内容は幅広い。地域の子供たちを招いてかつてならまちで使われていた生活民具を紹介したり、同館を拠点に学生と社会人がさまざまなテーマについて意見交換を行うオンラインフォーラム「ならまちリーグ」の開催に携わったり。
南さんは「若い人たちには、身近にある地域の宝に気づいてほしい。そして、地域のよさを自分たちで発信できる人になってほしい」と力を込めた。(江森梓)
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時代に合わせて発展
「ならまち」の歴史をひもとくと、時代ごとにさまざまな形で発展を重ねてきたことが分かる。
奈良市によると、奈良時代に平城京の「外京(げきょう)」と呼ばれる地域を中心に町が形成されたのが始まり。都が京都に移ると平城京は荒廃していったが、多くの寺院を有していた外京はその後、門前郷として独自の発展を遂げた。
徳川幕府が成立した慶長8(1603)年前後に実施された町を画定する「町切り」で、このあたりの町の総称として「奈良町」と呼ばれるように。奈良の商業の中心地として栄えた。
戦後は近鉄奈良駅周辺の開発とともに閑静な住宅地へと変化。一方で昭和50年代以降、地元住民らによって町並み保存の機運が高まり、平成に入ってから、市は一帯を都市景観条例に基づく「奈良町都市景観形成地区」に指定した。
ちなみに、ならまちは「奈良町」と表記されることがあるが、市では江戸時代の旧市街地全体を奈良町、このうち元興寺の旧境内を中心とする地域をならまちとしている。