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1粒で2度おいしい「神ナッツ」 創業者の江崎利一、チョコに「丸ごと入れなきゃだダメだ」 「昭和100年」だヨ全品集合 江崎グリコ編

産経ニュース 2024年10月7日 10時30分

戦後、チョコレートといえば平べったい板チョコ。そこへ「アーモンド」が丸ごと1粒入ったチョコレートが出現した。昭和33年に発売された江崎グリコ『アーモンドチョコレート』である。当時はまだ「アーモンド」というナッツの存在すらあまり知られていなかった時代。香ばしく、かむと「カリッ」と音がするいまでも大人気の「アーモンド」。グリコはどこでこの〝神ナッツ〟と出合ったのだろう。

米国での出合い

江崎グリコ創業者の江崎利一が「アーモンド」と出合ったのは昭和5年のことという。8月に「アメリカ産業視察団」の一員として初めて渡米した利一はナッツの専門店を訪ね、そこで食べたのがアーモンドだった。

同社社史担当の清水洋司さんによれば、「そのお店で一番値段が高く、一番おいしかった。利一はその時、いつか自社の商品に使ってみたいと思ったそうです」。

時が過ぎて29年、戦後、アメの「グリコ」とビスケットの「ビスコ」という2大栄養菓子の復活で経営が安定すると、利一はかつて米国で抱いた思いを実現させるために動き出した。

30年『アーモンドグリコ』が誕生。本場カリフォルニア州でも最高品質のアーモンドを手に入れ、さらに香ばしくするためのロースト製法を取り入れた。ミルク系のアメの中に砕いたアーモンドが入り《1粒で2度おいしい》のキャッチフレーズで大人気となった。

その3年後に『アーモンドチョコレート』が生まれた。社員たちはランダムにアーモンドを入れたものと思っていたが、利一は先行する大手菓子メーカーのチョコレートと勝負するには「チョコレートひと山ごとにアーモンドを1粒丸ごと入れなきゃダメだ」と宣言した。

技術者の創意工夫

「問題はもっとありました」と清水さんは続けた。

「当時はまだ、アーモンドを1粒ずつチョコレートに載せる機械がなかったんです」

利一は妥協しなかった。機械は自分たちで作ればいい。それまではピンセットで1粒ずつつまんで入れることを指示したのである。33年2月、手作業を残したまま『アーモンドチョコレート』を京阪神で発売。そして機械も4月に完成し、全国での販売にこぎつけたという。

「造幣局の硬貨を数える機械がヒントになったんです。鉄板にアーモンドの型をくり抜き、そこへアーモンドを載せて揺すると粒がチョコレートの型の中に落ちる―という案配。機械開発の技術者たちの創意工夫です」と清水さんは胸を張った。(田所龍一)

時代とともに健康効果アップ

昭和33年の誕生から六十数年、現在はあの昔ながらのグリコ『アーモンドチョコレート』の生産は終了している。だが、平成19年に『アーモンドプレミオ』が発売され、23年に『アーモンドピーク』。そして26年にはアーモンドの健康効果に着目した飲料『アーモンド効果』が売り出された。

「アーモンド」には活性酸素から体を守るといわれるビタミンEやオレイン酸、植物繊維が豊富。「病気を治すのではなく、病気にならない体づくり」を目指した江崎利一にとって「アーモンド」はやはり〝神ナッツ〟だったのである。

農園まるごと購入

覚えておられるだろうか。ある『アーモンドチョコレート』のテレビCM。アーモンドの木の幹を機械で挟み、ブルブルと振動させると、上からバラバラとアーモンドの実が落ちてくるというもの。

実はあの木もカリフォルニアの農園も江崎グリコの所有。当時、入社したばかりの江崎記念館の大野信二館長は「自家製のアーモンドを使っているのか。ウチの会社はすごい!」と感心した。ところが、先輩によると農園を買ったのは事実だが、CM撮影が終わるとすぐに売却。「えっ、CMのためだけに農園をまるごと買ったの!」と大野さんは1粒で2度驚いた。

ちなみに江崎記念館の周囲に植えられている木は「アーモンドの木」である。

CMが生んだ「甘いメモリー」

「アーモンドチョコレート」で忘れちゃいけないのがCMとイメージソングだ。その代表が昭和46年秋に『アーモンドチョコレートXO』で起用した俳優の近藤正臣。曲は新人歌手・松崎しげるの『君は何を教えてくれた』。首にスカーフを巻き、チョコレートを「カリッ」と音を立ててかむ近藤に、「格好ええなぁ」と憧れた。筆者15歳。

イメージソングからもたくさんのヒット曲が生まれた。52年、松崎しげる『愛のメモリー』、53年、松山千春『季節の中で』など。

〝青春コンビ〟のCMも話題を呼んだ。48年以降、森田健作と岡田奈々や田中健と山本由香里といった男女のタレントをコンビで起用するCMが続いた。

49年秋からは『セシルチョコレート』のCMで話題のコンビ、三浦友和と山口百恵が登場。2人が結婚する55年まで6年間続いた。

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