大根の葉が好きだ。ジャコと煮ておかずにする。ちょっとしたにがみというか辛味(からみ)がうまい。
そういえば、「二十四の瞳」で知られる小豆島生まれの作家、壺井栄に「大根の葉」という作品がある。仲間にうまくとけこめず、「大根の葉あがからかってえ」とからかわれる少年を描いている。
少年はいじめられているのだが、そのからかいは「大根の葉あが辛かってえ」、つまり、大根の葉を食べたら辛い、という意味だろうか。少年の祖母は豚の餌用に大根の葉をきざんでいるが、お前もあの辛い大根の葉を食べるのだろう、とからかわれたらしい。
ここまでの話をヒヤマさん(妻)にしたら、「子どものころ、うちでは大根の葉を牛の餌にしていたよ」と言った。大根の葉は豚や牛の餌だったのかも。
「流れ行く大根の葉の早さかな」。これは近代の代表的俳人である高浜虚子の作。上流で大根を洗っていて、不要な葉、あるいはちぎれた葉が下流へ流れて行く風景だ。不要なものへの注目というか、どうでもいいものをクローズアップしているが、これはいかにも俳句的な見方だ。芭蕉の「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」の類である。虚子のこの句、昭和3年の作だが、壺井の「大根の葉」は昭和13年に発表された。昭和の初め、大根の葉はまだそっけなく扱われていて、人のちゃんとした食べ物ではなかったのかもしれない。
実はボクも子どものころには大根の葉の辛味が苦手だった。ニンジン、ネギなどの野菜も苦手だった。年を取るにつれてそれらが次第に好きになり、老年に至ってからは、大根のすべて、すなわち葉までが大の好物になった。(俳人、市立伊丹ミュージアム名誉館長)