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大阪会議150年 近代の起点 元勲の筆遣い 大阪の老舗料亭・花外楼で「明治の元勲展」

産経ニュース 2025年2月3日 10時30分

老舗料亭が3日間限定のミュージアムに-。ちょうど150年前の明治8(1875)年2月11日。木戸孝允や大久保利通ら明治維新の立役者が大阪の料理屋に集まり、その後の日本を決定付ける歴史的会議が開かれた。その名も大阪会議。舞台となったのが「花外楼」だ。2025年大阪・関西万博が開かれる今年、近代日本の起点となった出来事を広く知ってもらおうと、さまざまなイベントを企画。第1弾として6日から、北浜本店を会場に元勲らの書画を展示する「ミニ歴史ミュージアム」を開催する。

「明治の歴史の一コマです。日本という国の将来を決めた重要な会議が、京都でも東京でもなく大阪で開かれたということを知っていただければ」と話すのは花外楼の5代目女将(おかみ)、徳光正子さん。

大阪会議では維新後の政府方針(立憲政治の樹立)について合意。4月に明治天皇から「立憲政体樹立の詔」が発せられるなど、歴史にページを刻んだ。

時をへて建物こそ近代的なビルになったが、当時と同じ土佐堀川を望む見晴らしのよい川沿いにたたずむ花外楼。玄関前には、大阪市の史跡第1号となった石碑「大阪会議開催の地」(昭和34年)が立つ。

天保元年創業の花外楼には長州藩士らを中心に幕末の志士が多く集まった。今回は「明治の元勲とその周辺」と題し、伊藤博文、井上馨、桂太郎らの書画や手紙など約40点を展示公開する。

なかでも定宿として足しげく通ったのが桂小五郎改め木戸孝允だ。ご存じ、大久保、西郷隆盛と並ぶ「維新の三傑」と称された。

大阪会議の成功を祝って自ら揮毫(きごう)し、料亭名を「加賀伊」から「花外楼」へと改める由来となった扁額(へんがく)はもちろん、残された多数の書画を紹介する。座敷の床には木戸の作品がずらりと並ぶ予定だ。

漢詩「船中之詩」

少し紹介しよう。まずは明治6年、欧州から帰国直後に立ち寄った際に書いたという漢詩「船中之詩」。

帰国して日本の山河を再び見ることができた感慨をしたためた。ゆったりとした筆遣いに緊張からの解放感が感じられ、木戸の雅号「松菊」も見て取れる。

花外楼では初代主人と木戸とのゆかりを示す家宝として、大切に伝えられてきたそうだ。

また、木戸が描いた竹の絵に「長州三筆」と呼ばれた杉孫七郎、野村素介らの書や絵を配した掛け軸は、花外楼の広い交流を物語る作品。山口県出身で「鉱山王」と呼ばれ明治から昭和にかけて活躍した実業家、久原(くはら)房之助が「花外楼に飾ってもらった方が似合うから」と寄贈したという。久原も常連客の一人で、昼食後によく雨戸を閉めて昼寝をしていたそうである。

多彩な顔ぶれ

そのほか、幕臣・勝海舟の扁額▽薩摩藩出身の小松帯刀の手紙▽山縣有朋の短冊▽伊藤博文の書-など。

鹿鳴館を建て外務大臣などを務めた井上馨、海軍元帥・東郷平八郎、総理大臣や日本銀行総裁を務めた高橋是清、医師で内務大臣などを歴任した後藤新平と、歴史を彩る人々が残した逸品も鑑賞できる。

さて、実はこの花外楼ミュージアム。平成18年秋に1日限りで開催されたことがある。週末の無料公開ということもあって約4千人が詰めかけ、ちょっとしたニュースになった。改めて「花外楼」のブランド力を示したともいえる。

今回は有料だが、老舗料亭に気軽に足を運べるいい機会だ。心づくしの特製菓子を賞味しつつ、大阪の歴史と元勲らの足跡をたどってみてはいかがだろう。(山上直子)

花外楼(かがいろう) 江戸時代から続く老舗料亭。幕末の天保元(1830)年に加賀国(現在の石川県)出身の伊助が大坂・船場北浜で料理旅館「加賀伊」を開業。長州藩士らが多く集い木戸孝允が定宿とした。明治8(1875)年に同地で開かれた大阪会議の成功を祝い木戸が「花外楼」と命名、以後屋号とする。木戸をはじめ伊藤博文、井上馨、桂太郎ら明治の元勲らに愛され、書画や書簡が多く残されている。北浜本店は大阪市中央区北浜1の1の14。

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