阪急百貨店うめだ本店でおなじみの『英国フェア』。第1回は大阪万博が開催された昭和45年だった。今年も10月に開かれ、実に54年の歴史を持つ由緒あるイベントだ。なぜ、これだけ長期間続けられているのだろう。今回は「阪急英国フェア」を研究し、博士号をとった細見和美さん(67)と平成16年から16年間、同フェアを企画運営した桑原渉さん(57)=現在は他部署勤務=の2人に話を聞いた。
華やかな初開催
昭和45年9月29日午前9時30分、『英国フェア'70』の開会式が始まった。7階会場では野田孝・阪急百貨店社長やジョン・ピルチャー駐日英国大使があいさつし、タカラジェンヌの花束贈呈、そして英国総領事令夫人らによるテープカットが華やかに行われた。
第1回のテーマは『英国伝統文化と王室宝飾展』。英国歴代王の王冠や剣などの宝飾品、聖エドワードの奉職典礼品30点、さらにプリンス・オブ・ウェールズ戴冠式典礼品の王座や椅子、羽根飾りなどが展示され、あわせて、紳士服やカバン、スコッチウイスキーなどのブランド品を販売する「英国大商品展」も展開された。
当時の新聞広告記事にはこうある。
《いながらに味わえるほんもののイギリス旅行》
大阪万博が終わったばかり。日本人の意識の中で、「外国」がグッと近くなった抜群のタイミングだった。
だが、実際は少し違う。
実は前年の44年、東京・数寄屋橋阪急で「英国フェア」が開かれていたのだ。
「そこには悲しく、悔しい物語があるんですよ」と細見さんは語り始めた。
昭和40年代に入ると、英国政府は経済大国になりつつあった日本との貿易拡大を狙った。そのためには英国をよく知ってもらうことが重要。そこで44年、東京で「英国週間」という大博覧会を催すことになり、その際、東京の全百貨店に「英国フェア」の協賛を呼びかけた。
「百貨店は信用度が高い。お客さんの層も良い。それに必ず催し会場を持っている。英国政府にとって、展覧会開催と同時に商品も売ってもらえる百貨店はうってつけだった」
三越をはじめ西武、松坂屋、高島屋、伊勢丹など有名大手百貨店が協賛した。英国政府も大喜び。展覧会の経費は英国政府がもち、なんとマーガレット王女が各百貨店へ来賓として回るという。着々と準備が進む。ところが阪急には声がかからなかったのだ。
悔しさをバネに
阪急は関西の百貨店。細見さんは「東京の数寄屋橋店は規模も小さいし、忘れられていたかもしれません」と分析した。
だが、「阪急百貨店」としては黙って見過ごすわけにはいかない。急遽(きゅうきょ)、野田社長が英国大使館へ赴き、「阪急もお忘れなく。なんでも商品は買い取ります。ウチにもぜひ、マーガレット王女に…」と懇願したという。英国側も熱意にうたれ、「東京を離れる日の午前中なら」と王女のスケジュールを調整した。だが…。
「その日は阪急の定休日だったんです。野田社長は数寄屋橋店の社員に頭を下げ、組合とも交渉し、定休日に店を開けてフェアを開催。なんとか王女をお迎えすることができた。でも、準備期間が短かったため、展覧会は英国の観光写真展のようなものにならざるを得なかったんです」
その悔しさが45年、大阪梅田本店での華やかな初開催につながったのである。
ティールーム忠実に再現
企画運営を担当した桑原さんが注目したのは英国の「食」。とはいえ英国の食べ物は「まずい」というのが日本での定評だった。
「でも、食がないと催しは楽しくないんですよ。だから必死に探しました」
そして見つけたのが「紅茶」だった。桑原さんは英国中の「おいしい紅茶を飲ませる店」を探し回り、そして「ここだ!」と決めるとその「ティールーム」ごと日本に持ってきた。店の外観から椅子、テーブル。そして店のオーナーを招いて英国文化である「紅茶」の楽しみ方を伝授してもらった。
細見さんはいう。
「ただ単に、紅茶を飲ませるのではなく、阪急さんはティールームを日本で忠実に再現した。だから長年英国に住んでいたという人がみな、懐かしさを求めて来られるんです」
お客さんたちは口々に「このフェアに来ると本物の英国がある」と話した。
桑原さんは「それが最高のお褒めの言葉です」と目を細めた。
さて、細見さんをご紹介しよう。長年、兵庫県の高校の教員(世界史)を務める。59歳のとき夫婦で欧州旅行。そこで同級生に出合い「最近は定年で仕事をやめた人が、大学院でたくさん学んでいる」という話を聞く。するとその日の夜、「自分が学生になった夢」を見た。
60歳で定年退職した細見さんは4月から神戸大学大学院の国際文化学研究科に入学。本物の学生になり「阪急英国フェアの歴史的展開と文化的意義―その文化展示と英国紅茶イメージの創出」で博士号を取得。実におもしろい人なのだ。
日本語禁止でも大盛況
「憧れのカントリーサイドへ、ようこそ」と銘打って開かれた平成27年の「英国フェア」は趣が違った。
なんと、セミナーでは日本語禁止。お客さんもスタッフも話していいのは英語だけ。テーマは「紅茶」だった。
英国のニューカッスル地方に店舗を持たず、馬車で売り歩いたという1907年創業のティーバッグの紅茶メーカー「リントンズ」がある。桑原さんは現存する2台の馬車のうち1台を博物館から借り受け、祝祭広場に展示。さらにリントンズのオーナー夫妻を日本へ招き、創業当時のエドワード朝の服装でティーバッグ紅茶をレクチャーしながらふるまった。
「通訳をつけると時間が倍かかるし、通訳が紅茶に精通していなければ通じない。『だったら英語の分かる人にきてもらおう』ということになった」
「反対? もちろんありましたよ。でも、セミナーはずっと大入り満員でした」と桑原さんは振り返る。
細見さんによると、「英語で話したかった、という大阪の女性たちがいっぱい集まった」そうだ。(田所龍一)