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<朝晴れエッセー>7月の月間賞は「繭玉の思い出」 時代の記録を鮮やかに

産経ニュース 2024年8月17日 8時0分

朝晴れエッセーの7月月間賞に、佐々木恒男さん(92)=東京都葛飾区=の「繭玉の思い出」が選ばれた。筆者が養蚕を営んでいた故郷の暮らしを振り返った作品。養蚕業の貴重な記録であるとともに、飼育中の蚕の匂いや音、養蚕家特有の行事を鮮やかに描いた文章が評価された。選考委員は作家の玉岡かおるさんと門井慶喜さん、岸本佳子・産経新聞大阪本社夕刊編集長。

岸本 門井先生は所用のため、しばらくリモートで参加されます。門井先生と私の◎が、「繭玉の思い出」で重なりました。

門井 昔の養蚕家では当たり前の光景なんでしょうが、今では非常に貴重な民俗的な話。カメラのない時代で写真に残せず残念とありますが、だからこそ文章に残す価値があります。内容だけでなく、書きぶりも非常に充実している。誰も知らないことが分かりやすく書かれていて、理解するのに渋滞が起きない。

岸本 「ざわざわとした音」や「強烈な匂い」といった表現から、昔話の絵本を読んでいるかのごとく、光景が脳裏に広がりました。写真にはできないことですね。

門井 同感です。写真にはない文章ならではの魅力がある。それに「鼻唄交じりで」というさりげない言葉が、あるとないとで大違い。表現が非常に細やかです。

玉岡 時代の記録にもなっていますね。ご苦労されたであろう部分がそぎ落とされて、明るく読めます。私の◎は「アベベの指輪」。アベベ選手は、当時の日本人に本当に大きな衝撃を与えました。その英雄に驚いた少年の気持ちに寄り添って、母親もおまわりさんも事実を説かない。アベベの存在感の大きさが表れていて、懐かしく、温かい気持ちになりました。

岸本 昭和の話が続きますが、玉岡先生とは「父に会いたくて」と「母の出刃包丁」でも重なっています。どちらも戦争にまつわるお話でした。

玉岡 「父に会いたくて」は、沖縄戦のことを今一度、思わせていただいた。本土では、終戦の日と原爆の日がよりフォーカスされがちですね…。断崖で「お父さん」と叫ぶシーンは目に浮かび、音が耳に聞こえるような強いインパクトがあります。

門井 ストレートに過去から現在に話が流れていますが、情報量が豊富で、かつ渋滞がない。簡単に読めますが、簡単に書いたものではないですね。

玉岡 「母の出刃包丁」は、小学校の工作で茶筅(ちゃせん)を作るために竹とナイフがいるのに、ナイフがなく母親が出刃包丁を持ってきた。担任の先生の「戦争に負けて、日本人はみんな貧乏になった」という説教は、こういう時代が確かにあったのだと胸に迫りました。

岸本 ただ昔話をしたのではなく、「霞んでゆく想い出の一つをそっとすくい取ってみた」という表現に、感銘を受けました。

玉岡 「父に会いたくて」もですが、忘れてはいけない記憶というのは、誰かがさざ波のように書いて、広め続けないといけないんだなと思いました。

岸本 「しっぽのついた蛙たち」は、全員が選んでいますね。

玉岡 こんな優しさを持って農業をされているのだなと。自然との関わり、生き物とのつながりを感じる日本の風景です。

門井 目線が著者から途中で蛙に変わったようになって、また著者に戻る。狙ってやっているのではないからこそ、本当に蛙の身になって考えているのだなと好感が持てます。

玉岡 筆者の優しさがにじみ出ていますよね。

門井 最後から2段落目で、「見る」ではなく「目の当たりにする」にしたのが値千金。死なせたくないのに、死なせちゃったという思いが伝わる。こういう一言があるだけで、エッセー全体が輝くことを確認しました。

岸本 7月は若い方からの投稿もありました。「本大好き」の著者は、なんと9歳!

門井 最初から最後まで、本が大好きということをストレートに、一生懸命に書けていますね。好きな理由もちゃんと述べている。漢字が自然と読めるようになるというのには、なるほどと思いました。

玉岡 「母への感謝」は、18歳の筆者が、口では伝えられない母親への思いを書いてくれました。文章に向かうと素直になれるんですよね。「『ありがとう』って言えたコドモの頃の方がオトナだったかも」というのは、本当にその通り。年を重ねると、なかなか言えない。

岸本 門井先生の選ばれた「言えばよかった」は、筆者が父親に感謝を伝えられなかったことを悔いる作品でした。

門井 「繭玉の思い出」とこの作品のどちらを◎にするか迷いました。亡くなった父親への思いが非常に細やかで、書きぶりもいい。がんになった父親の通院に付き添っていたときの、「患者でごった返す廊下を縫うように歩く私の後ろを、父は懸命についてきていた」というところは、印象的なシーンです。

玉岡 亡くなった親への後悔や思いは、ずっと尾を引きます。だから、亡くなった後も思い出と一緒に生きていくんでしょうね。

岸本 すてきな作品がたくさんありましたが、月間賞は◎が2つの「繭玉の思い出」でしょうか。

玉岡・門井 賛成です。

受賞の佐々木さん「養蚕の思い出は尽きません」

実家は群馬の村で、養蚕が盛んでした。養蚕家は本当に忙しく、子供が手伝うのは当たり前。繭をとるときは「養蚕休業」で学校も休めました。

蚕は1カ月ほどで繭を作るので、春から秋にかけ3回は繭がとれます。富岡製糸場から村に何台もトラックが来て、いい繭を選んで運んでいく。町からは商人が着物なんかを自転車に積んでやってくるのがまた、にぎやかでした。

繭玉は2日ほど飾った後、ゆでてあんをつけたりして食べました。故郷の辺りは傾斜地が多く田んぼができない。お米で作った繭玉は、とてもぜいたくな食べ物だったんです。

米国でナイロンが発明され、さらに中国の安い絹が入ってきて商売にならなくなり、昭和36年に養蚕をやめて上京しました。わが村では今は養蚕を全くやっていませんが、思い出は尽きません。

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