大阪・梅田に近い野田(大阪市福島区)は、新五千円札にデザインされている「ノダフジ」で今注目のエリアだ。そして知る人ぞ知る「路地タウン」。戦火を逃れた地には古い長屋や商店が多く残り、裏道や小道が縦横無尽に走る。石畳や鳥居、トンネルまである路地には、まちを守るタヌキの神さんも潜む。地元の語り部、鈴木和夫さん(73)とレトロなまちを探訪した。
レトロな味わい
「最初に地元の人も知らん路地を案内しますわ」
そこは緑あふれる石畳の小道だった。片側から木がせり出し、ひっそりとして小ぎれい。風情がある。
「実はここ、阪神大震災後、ガス管を取り換えるためにいったん、石がどけられたんです。だけど、住民が元通りにしてくれました」
鈴木さんが力を込める。 別の石畳は工事をきっかけにアスファルトに変更されてしまったという。石畳は高額になるそうだ。正面にマンションが建ったため通り抜けできないのは残念。
次に訪れたのは家屋が密集した生活感あふれる路地。自転車やポスト、消火栓、植木鉢…など暮らしに必要なアイテムもいい味わいだ。正面の壁に「パーマ」の看板があった。
鈴木さんは「ここ行きましょ」と路地に建つ家と家の隙間へ入っていく。猫道のような狭さに躊躇(ちゅうちょ)していると、「あっちにいい感じの長屋がある」というのでカニ歩きで通った。
広い道(といっても小路)に出ると、目の前にはレトロな美容院。先の「パーマ」の店だ。
かつては路地がL字形に続き店の前に出られたが、新築の家が建って行き止まりになった。看板はその痕跡という。美容院の通りには特徴的な大正長屋があり、懐かしい風景が広がっていた。
もう一つ面白かったのが「トンネル路地」。建物の一部が空洞になっていて通り抜けできる。鈴木さんによると、明治42年以降はこうした造りが禁じられたため「相当古いもの」とか。
「天井に『雲』と書いた貼り紙があるでしょう? 『空』と書くことが多いのですが、上は空間ですよ、屋根じゃないですよという意味です」。つまり通り道であることを示している。
このほか、鳥居のある路地、元水路のようなV字の小道など、新しい街にはないおもしろい道をたくさん発見した。
時代物語る長屋
路地や小道を形成する建物も実は興味深い。野田で最古の「北向火除(きたむきひよけ)地蔵尊」のそばにある五軒長屋「玉二三(たまふみ)長屋」の住民と出会った。
通りから見ると長屋だったが、角を曲がった後も塀が続いており、門もあった。門中には石畳の通りを挟んで長屋の裏側と母屋が向かい合っていた。変わったつくり。長屋の2階には木製の物干し台、門の近くには井戸も。時間がゆっくり流れているようで居心地が良かった。
母屋の住民、田中加奈子さん(57)は「明治時代に両方同時に建てられたと聞いています。戦後はいったん、長屋を手放したため、今うちが持っているのは一軒だけですが、長屋のみなさんとは仲良くさせてもらっています」。
イベントやマルシェを通じて中庭や長屋を公開しており「古い建物を大事に使うことでまちの景観保存になれば」と語った。
長屋の多くは老朽化でマンションや新築物件に建て替わっているが、大正、昭和初期に良質の材料でつくられた「大阪長屋」がまだいくつもあり、人々の暮らしとともに息づいている。
火除けの神さん
野田に市中央卸売市場ができたのは昭和6年。それまでは府内各地に専門の市場が点在していたという。
「天満は青物、雑喉場(ざこば)は魚、靭(うつぼ)は乾物か。朝が早いから市場関係者が移り住んできたと思います」
鈴木さんが説明する。立派な屋敷や長屋が多いのは商売人や市場関係者がたくさん住んでいたからかもしれない。
JR野田駅から市場へは約1・5キロの貨物線が通っていたが60年に廃線。跡地の緑道にひっそり祭られるのが「源吉たぬき」こと、源吉大明神だ。
「火除けの神さんで、町が戦災に遭わなかったのはおタヌキさんがおられたからといわれています」
最近まで住宅街に鎮座していたが、家主が代わって引っ越しを余儀なくされた。「大阪市にかけあい、署名運動をしてやっとのことで許可が下りました」
この近くには昔踏切があり、踏切から東へのびる通称・大野町通りは商店街だったという。
鈴木さんは「平成22年に商店街は解散。町の中心地としてにぎやかな場所でした」と懐かしむ。通りを注意深く見れば、病院や薬局、元店舗らしき古くて立派な建物がそこかしこに点在し、商店街の名残をとどめていた。
「大きなお屋敷も石畳の路地もどんどん姿を消している。保存地区じゃないから仕方ないわ」
そう言いながらも生まれ育った野田まちに愛着を感じる鈴木さん。歴史や魅力を発信し続けている。(北村博子)
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大野町通りにある和菓子店「浪花屋菓子舗」で、野田のまち歩きマップ付きガイド冊子を販売。1冊200円。また「野田まち物語」のホームページでは野田周辺の見どころやエリア情報を紹介している。