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最後の徳川将軍と同じ名前、歴史を書く圧倒的な説得力 作家・門井慶喜さん 一聞百見

産経ニュース 2024年7月12日 14時0分

産経新聞の読者には連載「門井慶喜(よしのぶ)の史々周国(しししゅうこく)」や読者投稿「朝晴れエッセー」の選考委員でもおなじみの作家、門井慶喜さん(52)。美術などを題材にしたミステリーから歴史小説まで幅広いジャンルの作品を手がけ、「歴史」の中から「現代」にも通じるテーマや普遍的な人間の姿を描き出す。

慶喜の名は、歴史好きだった父親の政喜(まさき)さんが自分の名前の1文字をあててつけた。「(代々にわたってつける)通り字は歴史好きの人にありがちで、僕も3人の息子の名前に『喜』をつけました」。ただ、門井さんの場合、江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜と同じ名前だった。「名君とも暗君ともいわれる評価の定まっていない人物で、大人になればそれが魅力だとわかりますが、子供の頃はからかわれたりして嫌いな名前でした」

ところが、平成10年放送の大河ドラマで慶喜が主人公になると一変する。「よしき」と読み間違えられることもなくなり、父はまるで門井さんが世間に認められたかのように喜んだ。「今は父に感謝しています。歴史を書く作家としての圧倒的な説得力がありますから」

自宅には、父が買い求めた司馬遼太郎作品や歴史雑誌などが数多くあり、門井さんにとって歴史は身近な学問だった。「歴史を勉強するなら京都」と同志社大学に入学し、史学を学んだ。

作家を意識し始めたのは20歳頃。「僕は作家に『なりたい』と思ったことは実は一度もなくて、気がついたら『なる』ものだと思っていた。オタマジャクシがカエルになるのが自然なように」

ただ、膨大な読書量に比して、原稿は一枚も書いていなかった。4年生になり、「ひょっとしたら原稿を書かないと作家になれないのではと気づいた」と笑う。

卒業後は栃木県宇都宮市の実家に戻り、大学職員になった。時間的な余裕などを考慮し、作家になるために決めた就職先だった。それでも2年ほどは読書一辺倒で、ようやく原稿を書き始めたのは25歳頃からだ。「書けなくて苦しむという感じではなく、たまった水が自然にあふれ出したイメージです」と振り返る。

新人賞の最終候補に残りながら受賞を逃し続け、自嘲気味に「Mr.ファイナリスト」を自称したが、ついに平成15年、「キッドナッパーズ」でオール読物推理小説新人賞を受賞し、作家デビューを果たした。

探偵役が歴史的な美術品や名画などにまつわる謎を解き明かすといったミステリー作品を発表していたが、次第に抑えきれない気持ちがわき上がる。「(探偵役という)現代のフィルターを通さずに、歴史の世界に直接入り込みたい。よりクリアに歴史を見たい」

その思いを歴史小説というかたちで初めて世に送り出したのが、伊藤博文を主人公にした「シュンスケ!」だ。それまで築いてきた信用を失うかもしれない賭けではあったが、ミステリー並みの売れ行きを達成し、以来、数多くの歴史小説を生み出している。

ミステリー作家から歴史作家への転身-ではないと、門井さんは言う。「ジャンル替えをした意識はなく、同じ歴史ものを書いているつもり。フィルターを通すか、通さないかという手法が違うくらいで、カメラ自体は変わらないという感じです。つまり、僕の自己認識は『作家』なんです。作家の前に何もつけない、何にでもなりうる作家だと思っています」

「銀河鉄道の父」で直木賞受賞

門井さんが影響を受けた作家は数多くいるが、歴史小説を手がける作家として「絶対に外せない人」がいる。司馬遼太郎。歴史好きの父親の本棚には「竜馬がゆく」などの司馬作品がそろい、幼少期の門井さんが初めて読んだひらがなは「がゆく」だったという。

司馬作品を集中的に読み始めたのは大学生になってからだ。「言い切る」描写にひかれた。「たとえば新選組の近藤勇や土方歳三がどう思ったか、何を言ったかなどはわからないわけですが、司馬さんは当時の新選組を取り巻く状況を踏まえて、こうだったと言い切る。自分が小説を書くときの参考にしました。それが定着して、僕の一つのスタイルになっています」

そして「生意気な学生」は、司馬作品を精読して、こうも思う。

「人間の見方が僕と同じだな」

主義や思想ではなく、まずはあるがままの情報で合理的に解釈する。人間の実像から出発して論理、文章を組み立てる。「その順番が、僕には非常にあっていると思いました」

平成30年、宮沢賢治の生涯を父、政次郎の視点で描いた「銀河鉄道の父」で直木賞を受賞する。名作誕生のきっかけは、門井さんが息子のために買った賢治の学習漫画だ。幼い賢治が赤痢にかかって入院した際、政次郎が病室に泊まり込んで看病したというエピソードに衝撃を受けた。

ときは明治。家父長制全盛の時代に、こんな過保護な父親がいたのか-。「当時としては極めて異例ですが、われわれはストレートにわかる。すごく現代的なテーマだと感じました」。歴史作家の血が騒いだ。

賢治に関する書物は大量にあるが、政次郎についてまとまったものはなく、資料収集は「砂金を集めるような作業だった」と振り返る。そうして浮かび上がったのが「才能に恵まれながら社会性のない甘ったれの賢治と、息子への愛情と威厳の間で葛藤する親ばかの政次郎」だった。

「僕は人物像をつくるということはしない。事実として決まっていること、動かない史実から、常識的にたどりつくことができる人物を描く。それはたぶん、司馬さんも一緒では」

仮に史実から導き出した姿が平凡な人物であれば、小説でもそう書く。むりに強い個性を加えて、門井版〇〇といった人物をつくるようなことはしない。それは結局、読者にばれると思うから。

門井さんの歴史小説の多くが江戸時代や近代を舞台にしているのは、収集した資料に基づいて人物を描くためだ。「この方法の最大の欠点は、資料がなければ何もできないこと。『銀閣の人』の(主人公、室町幕府将軍の)足利義政でぎりぎりですね。古代にはちょっと手を出しづらい」と明かす。

「今はネットがあるので、資料収集は司馬さんの頃よりは有利かなと思う」が、歴史作家が一人の人物を描くために徹底的に調べることは変わらない。「それが歴史小説の難しさであり、面白さであり、特徴であると思います」

「土木」に人間ドラマ見いだす

作家デビューを果たした門井さんはその後、妻の実家がある大阪府寝屋川市に移り住む。令和2年からは同市のPR大使も務めている。

現在の創作活動の拠点は、自宅近くにある一軒家。生活の場ではなく、原稿執筆のために使う書斎兼書庫で、新築する際に門井さんはこう要望したという。

「ヴォーリズが現代の作家の仕事場をつくるとしたらどうするかを追求してほしい」

門井さんには近代建築の作品も多く、その一つが「屋根をかける人」。主人公は、明治学院礼拝堂(東京)や大丸心斎橋店(大阪)などの設計で知られる米国出身の建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964年)だ。

そのヴォーリズの遺志を継ぐ建築事務所に設計を依頼した。完成した2階建ての家は、1階がすべて書庫で本棚はつくりつけ。2階にある執筆用の机は、仕事がしやすいように門井さんが考案した稲妻形の特注品で、そのまわりに本棚を置いた。ヴォーリズが愛したスパニッシュの洋館ふうの外観からは想像できないが、「仕事のしやすさに徹底的にこだわった機能優先」の職場だ。ここで門井作品の数々が生み出される。

司馬遼太郎ら先人の歴史作家は「戦争」を題材に多くの歴史小説を書いた。現代に生きる門井さんは「土木」に着目した。

湿地が広がる寒村にすぎなかった江戸を、日本一の大都市に作り上げた徳川家康と家臣らを描いた「家康、江戸を建てる」。東京に日本初の地下鉄を誕生させた実業家、早川徳次(のりつぐ)と技術者たちの奮闘にスポットを当てた「地中の星」…。

「戦争を経験した世代ではないので、説得力では絶対に司馬世代に負ける。戦争ではなく、国のあり方をダイナミックに変える分野は何だろうと考えたときに、行き当たったのが土木でした」

大勢の人が動き、命がけで仕事をする。人間に何ができて、何ができないのかを根源的なレベルで知ることができる。そんな土木の世界を、門井さんは「これは面白いぞ」と思った。一方で、動画ならわかりやすく説明できる複雑な技術などを言葉だけで書けるのか、はたして「小説で書く意味はあるのか」と冷静に考えた。

小説は、土木を描くツールではなく、あくまで人間を描くもの。人間のドラマを伝えることができたら読んでもらえるはず-。「小説でなければ得られないものをどう打ち出していくのか、毎回すごく考えています」と自負する。

現代は、文章や画像などを自動的に作り出す生成AI(人工知能)が急速な進化を遂げる。人間が書く小説は読まれ続けるのだろうか。

門井さんは、AIにもある程度のオリジナリティーがある小説を書ける日が来ると予想する。それも「僕の目の黒いうちに」。だが、それを読者がお金を払って買ってくれるかどうか、市場価値を持つかどうかは別問題だという。

「人間は人間のやることに興味があるということは絶対に動かない」からだ。「感情移入の必要ない文章はどんどんAIに置き換わっていくでしょうが、AIがどれほど発達しても少なくとも(人間が書く小説の)商売という点ではあまり気にしなくてよく、逆に言えばAIを否定しなくてもいい」と述べ、作家の将来を悲観的にはみない。

歴史小説の第一人者はこれからも、歴史の中に見つけた世界を豊かな言葉で紡ぎ、現代に届け続ける。

かどい・よしのぶ 昭和46年、群馬県桐生市生まれ。栃木県宇都宮市で育つ。同志社大学卒業。平成15年に「キッドナッパーズ」でオール読物推理小説新人賞を受賞しデビュー。28年に「マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代」で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)を受賞。30年に「銀河鉄道の父」で直木賞受賞。ほかに「家康、江戸を建てる」「屋根をかける人」「ゆうびんの父」など著書多数。大阪府寝屋川市在住。

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