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「ごみばっかり作ってます」現代美術作家の故・三島喜美代さんが抱いた情報氾濫への不安

産経ニュース 2024年7月11日 8時0分

シルクスクリーンの技法で陶器に新聞やチラシなどの印刷物を転写、情報やごみの氾濫に対する不安感を表現した現代美術作家の三島喜美代さんが6月19日、亡くなった。91歳だった。

3年前、大阪・十三(じゅうそう)の自宅兼アトリエにうかがったとき、しばらく前に痛めた股関節や曲がってしまった腰をかばおうともせず、懸命に土と格闘する88歳の姿を見せられた。「1日12時間やってます。仕事してると痛みを忘れるんですわ」。そのときは東京での大きな展覧会の開幕直後で、その展示用に作った新聞を転写した陶器は130点にも及んだと話した。だから、「命懸けて遊んでます」という言葉にも実感がこもっていた。

大阪生まれで中学時代から美術を始め、画家の三島茂司氏と結婚。1950年代は絵画、60年代はコラージュ制作に力を注いだ。当時は洋画家の吉原治良が率いる関西の前衛美術家集団「具体美術協会」(具体)の作家たちとも交流を持ち、その中で刺激を与えてもらうことも多かったという。

陶器にシルクスクリーンで印刷物を転写し始めるのは70年代に入ってからだ。もともと「情報」というものに関心があり、新聞紙を使ったコラージュ作品なども作っていたが、落としたら砕ける陶器で新聞を作ることで、情報に対する危機感や不安感を表現できると考えた。以来、消費されてゆく情報やごみを陶器で再現する作品に挑む。

その作品群は、陶芸の可能性を広げるものであると評価され、イタリアのファエンツァ国際陶芸展で金賞を獲得した。さらに54歳という年齢で、ロックフェラー財団の奨学金を手に、米国留学を果たした。

近年、日本の現代美術に対する評価の高まりによって、瀬戸内海に浮かぶ直島(香川県)の大きなごみ箱のオブジェ「もうひとつの再生 2005-N」をはじめ、巨大なインスタレーションなどの作品が話題を呼び、次第に国内外で注目を浴びる人気作家となっていった。

いつまでもチャーミングな人だった。口癖は「ごみばっかり作ってます」。若い頃の三島さんの写真を見せてもらったとき、「おきれいだったのですね」と言うと、すかさず「そうですやろ。もてましたんやで」と返ってきた。

三島さんと親しかった世界的建築家の安藤忠雄さんは「右手に絵筆(アート)、左手に自由。天から二物を与えられ、自由奔放に生きた人だった」と振り返る。

また、三島さんの個展を何度も開いた神戸市のギャラリーヤマキファインアートのオーナー、山木加奈子さんは「私がロックコンサートに行くというと、『私も連れてって』とせがまれて。もう80代後半でしたけど、音楽の流行にも敏感な方でした。三島さんの作品に音楽を感じるのは、そのせいかも」と話す。

「体が動かんようになったら、現代音楽をやってみたいわ。はちゃめちゃでも自分なりの音楽が作れたら退屈しませんやろ」と話していた三島さん。命を懸けて思い切りアートを楽しんだ人が作る音楽は、きっと豊かな響きを持ったに違いない。(正木利和)

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