「あったぁ!合格しました」
令和4年2月、45歳で大阪医科薬科大医学部に合格した日、合否確認をする様子を動画配信サイト「YouTube」で生配信しました。
令和元年に「ビリおじチャンネル」を立ち上げ、これまでに自分の受験勉強など600本超の動画を投稿。チャンネル登録者数は6150人になりました。応援してくれた皆さんと祝杯をあげることができました。
チャンネル名の由来は(猛勉強の末に大学進学した逸話が映像作品にもなった)「ビリギャル」から。ギャルならぬおじさんだからビリおじ。「成績ビリのゼロから追いかける気持ちでやってやろう」という思いも込めました。
京大から起業も…
出身高校は東海高校(愛知)。全国でも有数の医学部進学者を出す学校で、私の周囲も医学部志望がほとんどでした。私自身は当時、国公立の医学部を受験しましたが不合格。その頃は医師になるという強い思いもなく、2浪して京都大農学部へ進みました。
在学中に受けた代替医療の講義でアロマセラピーなどに興味を持ち、休学中に起業して平成20年にバリ島で宿泊型のスパ施設を開業。大学は休学と留年を重ね11年半在籍し、退学しました。
スパに長期滞在されるお客様の中には精神的に疲れて会社を休職中という人も多く、病気になる前に生活の中で取り入れられる予防方法などをちゃんと勉強したいと思い、医学部進学を目指すことにしたのです。
ただ、結婚して子供もまだ小さかったので、自分のわがままを通して勉強だけに集中するわけにはいかない。仕事をしながら勉強しようと考え、平成24年以降事業を売却し、受験情報も集められる医専予備校の講師に転身しました。最初の3年は仕事に追われ、40代に入りこのまま仕事を続けるとチャンスがなくなってしまうと焦り、受験するとユーチューブで宣言したときには、42歳になっていました。
知識増やすより反復
講師として教えている生物と化学は受験に臨める学力がありましたが、特に数学でブランクを感じました。現役の頃と比べ、理解力や整理する能力が上がっている一方で、思考の瞬発力や記憶力は低下していて、昔のレベルに戻すのにかなり苦労しました。
勉強で特に重きを置いたのは過去問の反復学習でした。エクセル(表計算ソフト)でどの問題に何分かかったのかや、点数などを細かく記録し、1度目と2度目でどう変わったのかを分析。客観的に自分の学力を把握するようにして、自分に何が足りなくて得点できないのかをつかめるようにしていました。
瞬発力や集中して短時間で問題を解く力はそういう積み重ねが必要だと考え、新しい知識を増やすより、同じものをもっと早く解くことを意識していました。瞬時に正解を導き出せるように解ける問題も反復して取り組みました。
受験勉強を始めた頃は1浪すればどこかに合格できるだろうという甘い考えもあり、費用面を考え国立医学部に狙いを絞りましたが結果は惨敗。ユーチューブを通じ、医師や大学の先生などさまざまな方が情報をくれて、その中に奨学金制度がありました。最大限活用すれば8割ほど賄えることがわかり、3年目に私立医学部も受けることに。大阪医科薬科大学は特待生で合格をいただけました。
家族の支え
受験勉強に取り組めたのは家族の協力があってこそ。合格発表のライブ配信を勉強部屋でしていたのですが、家族に報告しようと一時中断して隣室へ行くと、妻もすでに私の配信を見ていてくれて、目を潤ませ合格を喜んでくれました。
大学に通うために横浜に家族を残し、大阪へ単身で移りしばらく経った頃、妻からラインが届きました。添付された写真を開くと、私の勉強机の椅子が作ったカーペットのくぼみが写っていました。掃除中に気づいて、ずっとここに座っていたんだな、と思ってくれたらしいです。「頑張ったね」とメッセージをくれ、涙が出ました。
勉強を始めた頃、2歳だった息子は小学校高学年に。子供のために記録を残そうと始めたユーチューブでしたが、思いがけず「励みになった」というコメントをたくさんいただきました。おじさんが多少失敗したところでそんなに損もなし、動画が誰かの励みになるのなら、という意義も感じましたね。
現在大学3年生で臨床医学がほぼ終わり、病院実習の機会が増えてきました。5年3月に開校した医学部受験専門予備校「MEDUCATE大阪校」の校舎長もしており、忙しくも充実した日々を過ごしています。医学部再受験を目指す生徒も在籍していて、自身の経験が不安な人たちの背中を支えられるのではと思っています。
受験中は、大学でこんなに楽しい毎日が待っているなんて思えなかった。受験生の皆さんは、2カ月頑張った先に新しい人生が開けています。あと少し頑張ってください。(聞き手 木ノ下めぐみ)
橋本将昭
はしもと・まさあき 愛知県出身。48歳。私立東海高校から2浪の末、京都大農学部退学。喫茶店や宿泊施設の経営、塾講師などを経て医学部受験を目指す日々を配信するユーチューブ「ビリおじちゃんねる」を開設した。3浪の末、大阪医科薬科大学に合格。医学部受験専門予備校の校舎長と2足のわらじを履く多忙な日々を送る。