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タブーとらわれず読者目線 特ダネ追い続けた半世紀 葛藤の中「扇情主義」に一線 夕刊フジプレイバック

産経ニュース 2024年12月23日 10時30分

55年間の夕刊フジ史上、最も売れたのは平成7年5月16日の『オウム麻原彰晃逮捕』である。夕刊即売紙は《売れてなんぼ》の世界。編集方針も「読者の視線で」「タブーにとらわれない」と打ち出したが、一方でいたずらにセンセーショナリズムに走ることを何よりも嫌ったという。そこが「夕刊フジは他の夕刊紙とは違う」といわれるゆえんである。その葛藤の一部を見てみよう。

受け継がれる精神

夕刊フジには《伝説》となっているこんな話がある。

創刊直前(昭和44年1月)のこと。ある超人気タレントの仰天スキャンダルをつかんだ。裏もとれた。この話を創刊早々に掲載すれば世間は騒然となり「夕刊フジ」の名前は一気に全国区になる。編集室はわいた。だが、報道責任者の山路昭平はこのスクープを没にしたのだ。

「確かに大スクープだ。けれど、これを載せれば『ああ、夕刊フジというのはそういう新聞か』とスキャンダル新聞のイメージが定着してしまう。オレたちが目指している新聞じゃないだろう」

翌45年11月25日、「三島事件」が起こった。作家の三島由紀夫が自ら主宰する「楯の会」の若者たちと、自衛隊市ケ谷駐屯地に乗り込みクーデターを呼びかけ、聞き入れられぬと分かると割腹自殺。センセーショナルな事件である。

夕刊フジは『〝三島の幻影〟追うまじ』と見出しをつけて報じた。1面の原稿を山路自らが書いた。記事の一部をご紹介しよう。

「三島由紀夫の死は、いったい何のためだったのか。(中略)ある人は〝独自の美意識の結末〟という。だが、その美意識はわれわれにはかかわりないものである。(中略)その文学はたしかにすぐれたものだった。だが、それに目を奪われて、〝狂気の行動〟を美化してはならないと思う」

これが55年間、脈々と受け継がれてきた「夕刊フジ」の精神なのだろう。

特ダネを赤電話で

昭和50年7月17日、皇太子ご夫妻(現・上皇ご夫妻)が沖縄県の「沖縄海洋博」の開会式に出席される前に、糸満市にある「ひめゆりの塔」を訪問された。

そのときである。突然、碑の前の地下壕跡からヘルメット姿の男が現れ、献花台に向けて火炎瓶を投げつけた。この「ひめゆりの塔事件」をなんと夕刊フジがスクープしたのだ。

当時、取材していた佐藤孝仁によると―。

「事件が起きたのは午後1時25分。もう一般紙の夕刊の締め切りが過ぎていたので、現場にはボクと地元紙の記者だけ。そこで事件が起こったんだ」

佐藤はすぐに近くのおみやげ屋さんに飛び込んで叫んだ。「おばちゃん、できるだけの10円玉を持ってきてぇ!」。その店には赤色の公衆電話しかなかった。

「原稿を書いている時間はないので、そら(頭の中で原稿をつくり電話で吹き込み)でいれたよ。10円玉をいくつ入れたか分からない。あっ、おばちゃんに電話代払ってない!」

佐藤は大失態を50年後のいま、気づいたのである。

■昭和~平成 読者の興味は…

「夕刊フジ売り上げベスト10プラス」なる表を作ってみた。1位は「オウム麻原彰晃逮捕」(平成7年5月)。7位には「村井秀夫幹部殺害」(同年4月)とオウム関連ニュースが2つ。その年の1月には「阪神・淡路大震災」が起こっているのだが、意外に順位は低く19位。どういうこと?

いや、もっと引っ掛かったのがベスト10の中に、衆議院選挙や衆参同時選挙に都知事選と、選挙関連ニュースが6つも入っていることだ。そんなに選挙が注目を浴びていたのだろうか。

当時、整理部長を務めていた各務(かがみ)英明は「選挙のときは《お札》を刷っているようだったな」と振り返った。なんでだろう?

当時の選挙は、いまのように即日開票ではなくほとんどが「翌日開票」。夕刊時間帯が勝負だった。夕刊フジには刷り出す時間に合わせてABCの3版があり、一般新聞の夕刊と違ってドンドン新しい情報が入れられる。

サラリーマンたちは家に配達される「夕刊」を待ちきれずに競って夕刊フジを手に取ったのである。なるほど!

夕刊即売紙は読者の全く知らない重大な突発事件より、ある程度予備知識があって、その展開に感心が集まっている方が売れる―という説がある。「オウム事件」が売れたのも「続報」プラス「怖いもの見たさ」の読者心理からといわれている。

関西の売れ筋は「ヤクザ」物

創刊前の計画では「東京」だけの発行だったが、予想外に売れた?ため半年後の昭和44年9月1日に大阪夕刊フジが創刊した。

大阪(関西)で売れたのは、50年代末から激しくなった暴力団同士の抗争事件である。

「大阪には東京にはない《夕刊紙文化》があるんです。昔から夕刊紙も多い。大阪新聞、大阪日日、新大阪、大阪スポーツそして夕刊フジ。読者も目が肥えている。大阪人にとって暴力団の抗争は分かりやすい。やられたらやり返す。きょうはどないなった?と劇場で映画を見るように抗争劇を見てたんですね」

抗争事件の取材にも携わり、編集部長として活躍した森康成はこう分析した。

大阪の夕刊紙の定番は吉本、阪神、プロレス、暴力団…。「ロス疑惑」より「山一抗争」というわけだ。(田所龍一)

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