「関西将棋界の殿堂」として大阪市福島区で40年以上親しまれてきた関西将棋会館が大阪府高槻市に移転し、12月3日オープンする。藤井聡太七冠の活躍で到来の将棋ブーム。高槻市は「将棋のまち」を打ち出し、地域活性化の起爆剤にと意気込む。ベッドタウンのイメージが強い同市だが、将棋と一体どんな関係が-。
思い付きは突然に
「将棋の未来へ、さあここから。」
JR高槻駅を降りると、藤井七冠ら有名棋士によるメッセージ看板が出迎える。駅前には、将棋の駒の形をしたポスト、将棋漫画「将棋の渡辺くん」のキャラクターをデザインしたマンホール…。まちは将棋一色だ。「誘致が成功し、まちの雰囲気が一変する」と駅近くにある芥川商店街事業協同組合の佐々木晶理事長(64)の声も弾む。
それにしてもなぜ高槻に将棋会館がやってきたのか。「すべては突然降ってきたアイデアだった」と浜田剛史市長は振り返る。
平成30年6月ごろ、自宅でテレビを見ていると、将棋会館(東京都渋谷区)の建て替え問題が流れていた。「関西将棋会館を高槻市に誘致したら面白いのでは」
高槻と将棋-。実は縁がないわけではない。高槻城三の丸跡で元年10月から行われた発掘調査で、江戸時代の将棋の駒47枚が出土。一度に出土した数としては全国2番目で、高槻藩の武士らが将棋をたしなんでいたことがわかる史料だ。
また、中井捨吉八段(1892~1981年)が市内で道場を開いたことがきっかけで市ゆかりのプロ棋士も多い。
「将棋を生かせないか、それまでも何となく考えていた」。同市は大阪と京都の中間に位置し、交通の利便性はいい。建て替えより移転にした方が資金が少なくて済むはず。建設資金にふるさと納税も活用できるのでは。次から次へとアイデアが浮かんだ。「言ってみる価値はありそう」。翌日、市職員に移転に向けた調査を進めるよう指示した。
官民で盛り上げ
早速布石を打つ。30年9月、日本将棋連盟と全国自治体で初の包括連携協定を結ぶ。翌年1月には、王将戦を初めて誘致。そのほかにも将棋関連イベントを開くなど機運を醸成した。
そして連携協定から約11カ月後の令和元年8月、日本将棋連盟に誘致を提案した。当初、連盟側には建て替え問題は俎上(そじょう)になく、驚いた反応だったという。
市側には「福島区に思い入れのある棋士から反対意見があるかも」との心配もあったが、移転で見込まれる建設コスト削減や建設費へのふるさと納税の活用のほか、固定資産税などの優遇措置を提案し協議を続けた。
そして3年4月、移転が正式決定する。市長の〝思い付き〟からわずか3年程度での実現だった。「連盟側もメリットを感じてくれたのではないか」(浜田市長)。
ソフト面での将棋のまちづくりも始まった。4年度から市内の小学1年生全員に、市産の木材で作った将棋の駒を配布。市立小で棋士を招いた出前授業も行う。
民間も盛り上げる。対局で注目の「勝負めし」では、同会館から往復5分程度にある店舗が開発に挑み、12月中旬にもメニューブックがまとまる。芥川商店街事業協同組合の佐々木理事長は、飲食店以外でも「将棋関連グッズなどを開発したい」と意気込む。
中核市の高槻市だが、この10年ほど人口は微減傾向だ。「市外から関係人口を増やす。それが経済活性化につながっていくはずだ」(浜田市長)と期待を込める。(格清政典)