平城宮跡(奈良市)近くから出土した、奈良時代の聖武天皇(在位724~749年)が皇位継承時に行った大嘗祭(だいじょうさい)に関係する木簡群に、神が座する場に関わる可能性がある「神御茵(かみのおんしとね)」と記した付け札が含まれていたことが分かった。奈良文化財研究所によると、神御茵との記載のある木簡が確認されたのは初めてで、貴重な資料になるという。
奈文研は今年2~3月に、平城宮跡朱雀門の南東約200メートルの場所で木簡群を発見。木簡は2600点以上に上り、「大嘗」や聖武天皇が即位した神亀元(724)年の年紀が記されているものもあり、当時の大嘗祭の実態に迫る重要な資料として注目されていた。
関係者への取材で、木簡群から神御茵と記された付け札2点が見つかっていたことが判明した。長さ6・5~8センチ、幅1・4~1・6センチの大きさで、いずれも下の部分が失われている。
茵は座ったり寝たりするときに下に敷く敷物。神御茵は、大嘗祭で天皇が神事を行うため平城宮内に設けられた「大嘗宮(だいじょうきゅう)」の中心にあった神座に関わる可能性があるという。付け札の下の部分に記載があったかどうかも含めて詳しいことは分かっていない。奈文研は他の木簡とともに意義づけについて検討する。
大嘗祭は天皇が即位後に初めて行う大規模な新嘗(にいなめ)祭。新米や酒などを神に供え、五穀豊穣(ごこくほうじょう)や国家の安寧を願う一世一度の儀式で、聖武天皇の大嘗祭は神亀元年11月に行われた。
渡辺晃宏・奈良大教授(古代史)は「茵の付け札とみられ、神座のしつらえがうかがえる資料。神も人と同じように座る存在として捉えられていることを示していて面白い」と話している。
◇
奈良市の平城宮跡資料館では22日から12月8日まで、特別展「聖武天皇が即位したとき。」で、神御茵を含む大嘗祭関係の木簡40点を展示。備中国(岡山県西部)から大嘗祭で用いる荒炭を納めたことを示す木簡や木簡群と一緒に出土した土器なども並べる。月曜休館。開館時間は午前9時~午後4時半(入館は午後4時まで)。
(岩口利一)
大嘗宮
大嘗祭で設けられた臨時の祭場。東西対称に悠紀(ゆき)院、主基(すき)院を配してそれぞれに正殿などを設け、天皇が神とともに食事をする儀式を行った。奈良時代には聖武天皇を含めて7代の天皇が大嘗祭を行い、平城宮跡内で多くの遺構が見つかっている。