2028年ロサンゼルス・パラリンピック競技への追加が決まったパラクライミングに、熱い視線が注がれている。追加決定後初めて行われた国内選手権には、過去最多の40人が出場。初出場で頂点に立った選手もあり、選手層拡大による競技レベルの向上も期待される。クライミングを通じた身体機能の回復を実感している人もあり、可能性を広げるスポーツとしての有効性も改めて注目されている。
10月26、27日の2日間にわたり、鳥取県倉吉市の県立倉吉スポーツクライミングセンターで開かれたパラクライミング・ジャパンシリーズ第1戦。視覚▽上肢機能▽下肢機能▽関節可動域と筋力機能-という4種の障害を程度に応じて分けられた各クラスに37人が出場したほか、2年前から設定の一般参加枠「ファンクラス」に3人が参加した。
下肢機能障害の最も重いクラスに初出場した大阪市の西崎哲男さん(47)=乃村工芸社=は、高校時代はレスリングに打ち込んだが、24歳のときに事故で脊髄を損傷。車いす陸上の日本代表になったがパラリンピックには届かず、パワーリフティングに転向してリオ大会に出場。だが、東京とパリ大会では出場を逃した。
今年6月、クライミングがパラ競技に追加されたのを機に「障害があってもできるのか」と興味を抱き、7月に京都府京田辺市のユニバーサルクライミングジム「ロック・オン・ザ・ビーチ」で開催された交流型イベントに参加。障害のある人とない人がともに同じ壁に挑むことが楽しく、毎週のように登る中で勧められて出場した。
結果は、日本代表選手2人に次ぐ見事な3位入賞。「色んな方と知り合えて刺激になった。もっと登れるようになりたい」と目を輝かせた。
同じジム仲間の堀祐輔さん(39)=京都市=と西山克哉さん(57)=滋賀県湖南市=は「ファンクラス」にそれぞれ初参加。脳性まひの堀さんは約2年半前からクライミングを始める中、身体の伸びや体幹などの機能改善を実感。新しいリハビリやトレーニングにも挑戦し始めたという。この日のチャレンジでは眼鏡がずれるハプニングもあったが、諦めないクライミングで会場を沸かせた。
ビルの窓ふきのアルバイトをしていた24歳のときに7階から転落、脊椎を損傷した西山さんは、「ありとあらゆるリハビリを徹底的にやってきた」努力の人だ。セーリングの日本代表としてロンドンパラに出場。パラクライミングの国内第一人者の小林幸一郎さん(56)の挑戦を追ったドキュメンタリー映画「ライフ・イズ・クライミング!」を見て感動し、「僕にもできますかね?」と尋ねたジムの店長に「できますよ!」と言われ、週1回ペースで通うようになった。
感覚がないはずの足をホールド(突起物)にしっかり乗せて登れるようになり、「障害はそのままだと思うけど、『こういう使い方がある』と体が再認識したのかな」と手応えを感じている。リハビリの一つだったクライミングは、「もっと登れるようになりたい」と新たな目標になった。
今大会は、主催する一般社団法人「日本パラクライミング協会」が法人化して8回目。ファンクラス参加から選手として出場した人も3人となり、裾野は徐々に広がっている。共同代表理事を務める小林さんは、「大会を通じて、パラクライミングが少しずつ広がっていけば。何より、クライミングを好きになる人が増えていく大会になってほしい」と話した。
(木村さやか)