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「いつかパラリンピックに…」 世界連覇の車椅子ソフトボール日本代表 東大阪から機運盛り上げ

産経ニュース 2024年8月27日 10時30分

28日にパリパラリンピックが開幕する中で、将来のパラリンピックでの競技・種目の採用を目指し「車椅子ソフトボール」の国内関係者らが今年の夏から新たな展開を始めた。日本代表は大阪府東大阪市で米国遠征前の事前合宿を行い、2022~23年の世界大会を2連覇。世界一となった選手らには「いつかパラリンピックの舞台に立ち、日の丸を揚げたい」という目標があり、クリアすべき課題に向けて一致団結して進む。

10人で試合

7月中旬の3連休。ラグビーの聖地・花園ラグビー場(同市)に隣接する日本初の屋外型車椅子スポーツ専用施設「市立ウィルチェアスポーツコート」で、車椅子ソフトボール日本代表の選手・コーチら約20人が炎天下で連係プレーの確認などの練習に汗を流した。令和3年から毎年この時期に日本代表の合宿が開かれている。山本浩二監督は「今年は個々の能力を高めることをテーマにした」と話した。

車椅子ソフトボールは、米国で約40年前に生まれたスポーツ。ルールは基本的に野球やソフトボールと同じだが、車椅子に乗ってプレーし、外野が1人多い1チーム10人で試合を行う。ボールはソフトボールより一回り以上大きくて柔らかく、一部のポジションを除けばグラブを使わず素手でボールを捕る。打撃はバットを片手で持って打つ選手が多い。

国内では全国各地に20チーム以上ができ、そこから選抜された代表選手らの年齢層は20~40代と幅広い。世界2連覇を経験し、主にサードを守る高木裕太選手(29)=大阪府摂津市=は、チームの強さを「守備がかたく、選手同士が話し合って連係プレーもできている」と分析する。

実はパリパラリンピックに2大会連続でカヌーの日本代表として出場する〝二刀流〟。甲子園を目指した元高校球児で、大学1年時にオートバイの事故で脊髄を損傷し、車椅子生活となったが、車椅子ソフトボールと出合い「気持ちが救われた」。ソフトボールでの「パラ出場も夢」と語る。

チームメートで主に投手やセカンドなどを守る垣内成一朗さん(32)=東大阪市=は、大阪ガスグループに勤める会社員。平成30年にスノーボードの事故で歩行困難の障害者となったが、車椅子業者の話で競技の存在を知り、令和元年から競技を始めたという。

競技の魅力は「生涯できるスポーツ」と語り「2028年ロサンゼルスは競技採用とならなかったが、いつかパラリンピックに出場できたらうれしい。その時に代表に選ばれるよう頑張りたい」と汗をぬぐった。

普及に力

パラリンピックでの競技・種目採用を実現しようと各方面に働きかけるのは、競技団体の日本車椅子ソフトボール協会(東京)の関係者らも同じだ。会長は元女子ソフトボール日本代表の投手で、シドニー五輪銀やアテネ五輪銅の各メダルに貢献した高山樹里さんがつとめる。

高山さんは「パラ競技は屋内型が多いので、ソフトボールは屋外で行う競技として大会のバランスが良くなる」と国内外の関係者らにPRしてきた。

ただ、ソフトボールは知名度がネックだ。特に欧州では知名度が低く、世界的に見れば、決してメジャーな競技とはいえない。

車椅子ソフトボールも同じ状況。パラ採用に近づくには「次は日本が先頭を切ってアジアで競技人口を増やす普及活動に力を入れることも必要」(高山さん)。今年は8月上旬に台湾で日本代表が車椅子ソフトボールを教えたり、交流試合を行ったりして普及活動を行った。

11月は東大阪市で台湾など世界各国・地域のチームを招待する国際大会も計画する。日本代表を率いる山本監督は「僕らは本場・米国に乗り込んで世界一になったが、代表ばかりが強くてもいけない。代表強化に加え、競技の普及活動に力を入れるのも車の両輪で大事」と足並みをそろえる。

下川友暉コーチも、今回の台湾遠征を「パラで日本代表が金メダルを取る目標に向けた第一歩にしていきたい」と今後を見据える。(西川博明)

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