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台湾野球殿堂に近藤兵太郎監督 日台混成「KANO」で甲子園準優勝、式典に教え子ら集結

産経ニュース 2024年8月6日 15時7分

【台北=西見由章】日本が台湾を統治していた昭和6年の全国中等学校優勝野球大会(現在の甲子園大会)で、初出場した台湾代表の嘉義農林学校(嘉農)を準優勝に導いた近藤兵太郎監督が台湾の「棒球名人堂」(野球殿堂)に入り、台湾で式典が開かれた。近藤氏の日台の教え子や遺族らが一堂に会した。

今年1月の審査員投票で、近藤氏は台湾野球界への貢献が認められ満票で選出された。台湾籍以外の人物が名人堂入りしたのは初めて。このほか近藤氏の教え子で準優勝時にショートを守った陳耕元(上松=あげまつ=耕一)氏や米大リーグ・ヤンキースで投手として活躍した王建民氏ら計5人が選ばれた。

桃園市の名人堂博物館で5日開かれた式典では、各氏の銅像をお披露目。近藤氏が晩年に監督を務めた愛媛・新田高の教え子、亀田健さん(87)が「甲子園球場が誕生して100周年の記念すべき年に、功績が認められて選ばれたことは無上の喜び」との近藤氏の四女、岩崎芊子(しげこ)さんのメッセージを代読した。

また陳耕元氏の次男、陳建年さん(76)は「台湾の野球は嘉農から始まったと思う。日本の教育を受けた父は、とてもすごい人だった」と振り返った。

式典には嘉農のエース、呉明捷(ご・めいしょう)投手の次男で埼玉県在住の堀川盛邦さん(69)も参加。「父は5年前に名人堂入りしたが、本来は恩師が先にと考えていたはずで、ほっとしていると思う」としのんだ。

台湾の先住民と漢民族、日本人の混成チームである嘉農が甲子園で快進撃を演じた実話を基にした映画「KANO」は2014年、台湾で大ヒットした。

亀田さんは「近藤先生は台湾時代の話を全くせず、映画化にあたり連絡を受けたときに初めて、嘉農を率いたことを知った」と明かす。「徹底して野球のルールとセオリーをたたき込まれた。台湾でも愛媛でも、指導者を育てて野球を普及させるという一念で指導されていたと思う」と語った。

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