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「ウルムチ暴動」から15年 ウイグル協会が抗議集会「非人道的扱い、激しさ増した」

産経ニュース 2024年7月5日 18時11分

中国新疆(しんきょう)ウイグル自治区の区都ウルムチで、2009年にウイグル人デモが漢人や治安部隊に弾圧された「ウルムチ暴動」から5日で15年となった。日本ウイグル協会は東京都内の中国大使館前で抗議集会を行い、犠牲者を追悼した。中国当局は暴動の死者を漢人ら197人としているが、1万人近いウイグル人が行方不明になったとの指摘がある。同協会は「ジェノサイド」(民族大量虐殺)と欧米諸国が非難するウイグル人弾圧の端緒となった出来事だと訴える。

銃殺、無差別に拘束

「武装警察や軍隊が(ウイグル人の)学生らに発砲し、数千人のデモ参加者が銃殺され、無差別に拘束された人々が行方不明になった。その後もウイグル人に対する非人道的な扱いが激しさを増す一方だ」

ウイグル協会の田中サウト氏は集会でこう訴え、ウイグル人弾圧の停止と国際的な調査団の受け入れを求める抗議声明を大使館に投函(とうかん)した。

「ウルムチ暴動」を巡っては、09年6月に広東省の工場で起きた漢人によるウイグル人襲撃・殺害事件に抗議するため、ウイグル人の若者らが7月5日にウルムチでデモ行進を行った。一部が暴徒化すると漢人や治安部隊と衝突し、1700人以上が負傷。同月7日には漢人が襲撃する「ウイグル人狩り」も起きた。

一方、中国当局は、亡命ウイグル人組織「世界ウイグル会議」(本部・ドイツ)が扇動したとして、鎮圧を正当化している。

田中氏は「デモの始まりはウイグル人の権利を求める若者による平和的なデモだった。過激な暴力を使ったのは中国側だ」と強調した上で、「ウイグル人が暴力で漢民族を刺激したかのようなイメージが作られ、日本のメディアも『ウイグル人の暴動』という言葉がよく使われている。一方的に中国から流された情報をうのみにしているのではないか」と語った。

平和的デモを衝突に変えた

田中氏は昨年10月に日本国籍を取得したが、暴動当時はウルムチ市内で働いていた。「20代や30代のウイグル人の若者が町から消えて、高齢者や子供ばかりだった。約1万人が消えたのは現実に近いのではないか」と語る。田中氏は警察署で指紋や顔写真をとられたが、その後釈放された。

当時について、同協会のレテプ・アフメット会長は今月4日の記者会見で、「一般の中国人が町のいたるところで、ウイグル人を見つけたら殴り殺すということが散発的に起きた。木の上にまで逃げたウイグルの若者も追いかけて殺そうとされた」と説明した。「平和的なデモを悲惨な衝突に変えた中国の責任は重い。その後ウイグル人に対して警察が当たり前のように発砲し、暴力を振るうようになった。これがいろいろな衝突を生み出し、そのたびに中国がテロだと主張するという流れになった」とも語った。(奥原慎平)

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