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東京裁判 「有罪ありき」に抗った判事レーリンク 「敗戦は罪なのか」 著者 三井美奈

産経ニュース 2024年8月15日 11時20分

先の大戦から79回目の終戦の日を迎えた。戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)で、インドのパール判事とともに英米主導の「全員有罪」判決に反対した判事がいた。オランダのレーリンク判事だ。彼の手紙と日記から苦悩や葛藤を読み解いた『敗戦は罪なのか』(産経NF文庫)がこのほど刊行された。著者の産経新聞前パリ支局長の三井美奈氏に「勝者の裁き」である東京裁判に一石を投じたレーリンクの言動などについて論じてもらった。

「百年の知己を得た」と赤根ICC所長

昨年6月、オランダのハーグで国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子判事(現所長)にお会いしたとき、拙著「敗戦は罪なのか」の単行本を贈呈した。ウクライナ侵略をめぐり、ICCがプーチン露大統領に逮捕状を出してから3カ月後のことだ。

数日後、レーリンクが「悩み抜く中で自分の道を選んだ勇気」に強い印象を受けたという感想をいただいた。メールには「自分が常に悩んでいること自体、判事としては正しいのだ」と励まされたとも書かれていた。このたび文庫本発刊にあわせ、「有罪ありきの東京裁判にも裁判官の良心があった。百年の知己を得た思いだ」という一文を寄せてくれた。

時代は変わっても、国際法廷の判事はそれぞれの信念をぶつけ合い、日々葛藤しているのだと想像できた。戦犯を裁く法廷は、政治とは無関係ではいられない。

東京裁判というと、パールの「全員無罪」判決が知られている。レーリンクはパールとともに、「全員有罪」という結論ありきの裁判に抵抗した。「平和に対する罪」、すなわち侵略罪は事後法だと考えた。

パールとの違いは、戦勝国の一員として面子を気にする祖国の強い圧力にさらされたことだ。レーリンクは結局、「平和に対する罪」に独自の解釈を編み出すことで科刑を認めた。現実政治に妥協した。一方で、閣僚に残虐行為の不作為責任を認めた多数派判決は「行き過ぎだ」という見方は変えなかった。広田弘毅、重光葵ら5人の無罪を主張した。

判事11人 ぶつかった国益とプライド

彼の日記には心の葛藤とともに、判事たちが日々何を考え、話し合っていたのかが克明に記されている。東京裁判には米英仏蘭やソ連、中国、インドなど11カ国から判事が集まり、国益やプライドをかけて事あるごとにぶつかっていた。

レーリンクは来日時39歳で、11人の中で最も若かった。感情を素直に書き留めた。「裁判は対日懲罰」と言い放つ米軍人に「私は結果ありきの裁判には与さない」と憤り、裁判記録を改ざんしようとしたソ連判事に食って掛かった。多数派判事が「全員有罪」判決の起草を急ぐと、「見れば見るほど、ここに自分の名前を記すのがおぞましくなる」と悩んだ。彼を支えたのは、20歳年上のパールだった。「たとえ世論を傷つけても、自分の信念を犠牲にすべきではない」と励ました。

レーリンクは帰国後、重光葵の釈放に奔走した。国際法を通じて「戦争を抑止する仕組み」を作ることを目指し、国連総会の委員会で活躍した。裁判後、日本を再訪し、思いを語ったこともある。

2003年、オランダ・ハーグにICCが発足した。レーリンクの死から18年後、彼の夢がかなった。ウクライナ、パレスチナで紛争が続き、戦犯法廷の重要性はいよいよ増している。

東京裁判というと、「勝者の裁き」と毛嫌いする人が多い。だが、自分の信念と向き合った判事がいたことも知って欲しい。本書には、そんな願いを込めた。(三井美奈)

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