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「南が早く攻めて来てほしいと願った」 2度脱北に成功の支援団体代表、市民の苦しみ語る

産経ニュース 2024年8月6日 10時0分

韓国で脱北者の支援を手掛ける女性、李河娜(イ・ハナ)さん(60)が7月に来日し、産経新聞の取材に応じた。李さんは一度中国に脱出したが、子供を置きざりにせざるを得なかったことを悔いて北朝鮮に戻り拘束された。その後、韓国に逃れた。「2度の脱北」を果たした経験を踏まえ、「脱北者には体験を伝える使命がある」と北朝鮮の劣悪な人権状況を訴えた。

母とひそかに願った「金体制崩壊」

李さんは北朝鮮の首都・平壌で生まれ、10代のとき、母が韓国出身という理由で咸鏡北道(ハムギョンブクト)の炭鉱の町に追放された。

町には韓国出身者や韓国軍の捕虜のほか、北朝鮮への移住を促進した「帰還事業」に応じた在日朝鮮人らが集められていた。いずれの人々も「敵対階層」と差別的扱いを受けていたという。

町では日本統治下で建設され、老朽化した炭鉱施設や鉄道、道路が使われており、「日本がもう一度入ってきて直してくれないだろうか」と嘆く住民もいた。軍人が通行人のカバンの中の食料や物を取り上げることもたびたびで、被害に遭った老人が「日帝(旧日本軍)でもこんなことはしなかった」と怒っていた。

李さんは、食糧不足で多数の餓死者を出した「苦難の行軍」と呼ばれた1990年代の困窮を鮮明に覚えている。母や知人と密かに「金体制が早く終わらなければ」「南朝鮮(韓国)が早く攻めて来ればいい」と口にする日々で、ほかの住民にも体制への不信がうかがえたという。

北朝鮮に戻り拘束…南北首脳会談が転機に

99年、李さんは警察官の親族を持つ夫には秘密のまま、母と9歳の長女、3歳の次女を連れての脱北を計画した。ところが、脱北を手助けするブローカーに小さな子供は足手まといになると拒否され、やむなく母と長女だけを連れて中国へ渡った。

2カ月ほど中国で潜伏生活を送る間、次女への罪悪感にさいなまれた。「子供にとっては母親が自分を捨てたと思うより、助けに来て死んだと思う方がましだ」。99年12月の深夜、中朝国境の川、豆満江にかかる橋を渡って北朝鮮に戻って次女のもとを目指したが、軍に捕らえられた。

送られた勾留施設内では伝染病や感染症が蔓延(まんえん)し、李さんもパラチフスに感染。トウモロコシをすりつぶした食事を与えられたが、高熱によってろくに食べられず、体重は15キロ落ちた。同じ施設にいた高齢者は下痢が止まらず次々と命を落としていったという。

政治犯収容所に送られる予定だった李さんに転機が訪れたのは拘束から半年後のことだ。2000年6月、当時の韓国の金大中(キム・デジュン)大統領と、北朝鮮の金正日(ジョンイル)総書記の首脳会談実施が決まると、韓国出身の母を持つ李さんは特赦の対象になり釈放された。

そして02年、次女を連れて韓国に脱出した。2度目の脱北を決意したのは、子供の世代に北朝鮮の体制下で自分と同じ経験をさせたくないという一心からだった。2度目の脱北が失敗した場合、銃殺刑になると聞いていたため、「とても恐ろしかった」と振り返る。

無事に韓国にたどりついた後、母と長女とも合流。新生活が始まった。

脱北後、中国で人身売買される女性も

北朝鮮で薬剤師として働いていた李さんは韓国でアルバイトと子育てをしながら再び大学に通い、50歳で韓国の薬剤師資格を取得した。学歴取得や就職を巡って競争が厳しい韓国社会にあって、李さんのように脱北者が職を見つけ、自立して生活していくのは容易ではない。「韓国での学業と生活は挫折の連続だったが、母と娘たちがいるからやってこられた」と振り返る。

李さんは、北朝鮮に家族を残して脱北した罪悪感や、強制送還や人身売買被害のトラウマを抱えた脱北者たちを癒し、韓国社会への定着を後押ししようと、14年、支援団体「セサルム(新しい人生)」を立ち上げた。

10年間で会員になった脱北者は200人以上で、20~30代の若者が7割を占める。脱北者同士で体験を語り合い、情報共有しながら進学や社会参加を後押ししてきた。

若者の境遇はさまざまで、そして悲惨だ。研究者の家庭で育ったが十分に食べられずに脱北し、中国で人身売買されて16歳で出産を余儀なくされた女性がいた。朝鮮戦争で祖父が北朝鮮の捕虜となって以来、3世代にわたって苛酷な労働を強いられ、差別を受けたという男性もいる。

脱北者に接するうち、李さんは「私たちが受けた人権蹂躙(じゅうりん)を忘れてよいのか」と考えるようになった。発足10年の節目を迎えた今年、北朝鮮の人権状況を国内外に訴える活動を始めた。

脱北者が北の市民を動かす

韓国政府は7月14日を「北朝鮮離脱住民(脱北者)の日」に制定した。尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は今年行われた初の式典で、韓国に亡命する北朝鮮住民を「一人も送り返さない」と誓った。李さんも自身の経験から強制送還に反対する。

李さんは、脱北者が韓国など国外にとどまった上で、北朝鮮の住民と電話や手紙、送金などを通じて接点を持つことが大切と考えている。李さんが支援してきた若者たちは、中国経由でUSBメモリーなどに保存されて流入する韓国ドラマやK-POPなどに触れ、自分たちの暮らしが劣悪だと気付いたという。

李さんが、かつて困窮の中で願った金体制の崩壊。その実現は容易ではない。だが、脱北者によって「だんだんと外部の情報が伝われば、体制は揺らぐだろう」と話した。(石川有紀)

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