Infoseek 楽天

ペルーのフジモリ氏が死去 90年に日系初の大統領就任 公邸人質事件を武力解決

産経ニュース 2024年9月12日 9時31分

【ニューヨーク=平田雄介】南米ペルーの日系2世アルベルト・フジモリ元大統領(1990~2000年在任)が11日、死去した。86歳だった。長女のケイコ氏が同日、X(旧ツイッター)に「父はがんとの長い闘いの末、この世を去った」と投稿した。フジモリ氏は破綻寸前の経済を立て直し左翼ゲリラを掃討するなどペルー発展の礎を築く一方、強権的な政治手法で知られ、人権侵害事件で服役した。

フジモリ氏は1938年7月、熊本県出身の両親のもと、ペルーの首都リマに生まれた。ラ・モリーナ国立農科大を卒業後、米仏に留学。母校で教授となり学長も務めた。88~89年にテレビの教養番組の司会者を務め、90年の大統領選に立候補。決選投票の末、のちにノーベル文学賞を受賞する作家のマリオ・バルガス・リョサ氏を破り、初当選を果たした。

就任直後から経済改革を断行し、ハイパーインフレーションによる物資不足に悩む国民を救済。国有企業の民営化など市場を重視する一方、左翼ゲリラ掃討作戦を展開して治安の回復に努め、外国からの投資を呼び込んだ。経済成長に伴う税収増を貧困層への福祉や教育予算に振り向け、95年大統領選で再選した。

日本との関係では、96年12月に発生した大使公邸人質占拠事件で陣頭指揮を執り、左翼ゲリラと対決。97年4月、軍特殊部隊を突入させ解決に導いている。

一方、軍を動かして対決姿勢を強める国会を閉鎖し、非常国家再建政府を樹立する「自主クーデター」を強行。憲法で禁止された連続3選を自分だけは例外とする法律を作るなど、非民主的な統治が目立った。

2000年大統領選で3選するも、側近のモンテシノス国家情報部顧問が野党議員を買収する模様を撮影した映像が暴露され、外遊中の同年11月、滞在先の日本から辞表を提出。議会は辞任を受け入れず、事実上の罷免決議を可決した。

01年、大統領在任中に左翼ゲリラと疑われた市民らが軍に殺害された事件で訴追され、チリで05年に身柄を拘束された。07年にペルーに移送され、10年に2つの人権侵害事件などで禁錮25年が確定。服役中の17年に高齢や病気を理由に人道的恩赦を受けたが、最高裁が18年に取り消し、19年1月に再収監された。直近では、23年12月に憲法裁の判断を受けて約4年ぶりに釈放されていた。

この記事の関連ニュース