埼玉県川口市に集住するクルド人をめぐり、法務省が20年前に難民認定申請者の多いトルコ南部の複数の村を現地調査し、「出稼ぎ」と断定する報告書をまとめていたことがわかった。クルド人が日本を目指す理由は何か。本当に「難民」なのか。報告書を裏づけるため、彼らの故郷を訪ねた。(報告書の記事はこちら)
日本から激高して電話
「いまオレが軍隊を呼んだ。軍も警察もお前を探している」。記者は日本からの携帯電話でそう脅された。入管当局が20年前に「出稼ぎ村」と断定していた複数の村の一つ、トルコ南東部の都市ガジアンテプ郊外の村。電話の相手は川口市内で解体工事会社を実質経営する30代のクルド人男性だ。
男性は約20年前、この村を離れ、先に来日していた父親を頼って川口に在留。トルコ政府から迫害を受ける恐れがあるとして難民申請を繰り返し、5回目の申請中だ。現在は入管施設への収容を一時的に解かれた仮放免の状態が続いている。
男性には日本でも何度か取材したことがあり、出身の村の名前も聞いていた。今回、男性が憤っていたのは、記者が実際に彼の村を訪ねたからだとみられる。
2階の壁に男性らの名前が刻まれた家を偶然見つけ、村の人に話を聞いていると、男性の母親を名乗る女性が「チャイを飲んでいけ」と、家に招き入れてくれた。
ところが、母親がその場で川口にいる息子とビデオ通話を始め、記者の名刺を見せたところ、男性は激高した。あまりの剣幕に家の外に出ると、冒頭の電話がかかってきた。政府の迫害から日本に逃れたという「難民」が、トルコ軍や警察を動かすのだろうか。
直前まで母親は、日本にいる孫たちの写真入りのバスタオルを見せ、うれしそうにこう語っていた。
「日本で成功した息子を誇りに思う」
「働くため」村人が証言
男性の故郷は日本で難民申請者が集中している村でもある。トラクターが行き交う典型的な農村だが、ところどころに立派な家が建っており、トヨタの大型乗用車に乗った人もいた。男性の実家はひときわ目立つ2階建てで、がっしりした門扉を通り玄関から居間に入ると、50型ほどの大型液晶テレビがついていた。
最初に父親に名刺を渡すと、「オレ、この村から一番初めに日本へ行ったよ」と日本語で話した。父親は川口で解体業をしながら難民申請していたが認められず、10年ほど前に帰国したという。
道端で日本人の姿を見て集まってきた村人は、口々に「コンニチハ。オレ、カワグチにいたよ」「カイタイの仕事。ハッピーケバブも知ってるよ」と話しかけてきた。トラクターで通りかかった老人は、川口に近い東浦和の解体会社の「代表取締役」という名刺を見せ、「今は息子が日本にいる」と自慢げに話した。
村の人によると、約70世帯300人の集落の多くが日本に住んでおり、残っているのは90人程度。欧州は少ないという。
村人らは隠す様子もなく、こう証言した。「なぜなら、日本はビザなしで簡単に行けるから」「働くために日本へ行っている。短期滞在で入国して、翌日からカイタイで働けるのだ」=(下)へつづく