【カイロ=佐藤貴生】シリアでアサド政権側と戦っていた反体制派は8日、首都ダマスカスを掌握し、2000年に発足したアサド政権は崩壊した。ロイター通信によると、アサド大統領と家族はシリアから出国し、同日夜にモスクワに到着した。アサド氏の父、故ハフェズ・アサド氏が権力を握って以来、半世紀に及んだ親子2代の独裁体制が終わり、シリアは歴史的転換点を迎えた。
昨年10月のパレスチナ自治区ガザでの戦闘開始を発端とする情勢流動化はシリアに到達し、中東の勢力図が一変する可能性が出てきた。ただ、シリア各地に乱立する反体制派の団結は見通せず、「アサド後」を巡る米露や周辺諸国の思惑も交錯しており、混乱が収束するかどうかは不透明だ。
政権崩壊に大きな役割を果たしたイスラム過激派「シリア解放機構」(HTS)を率いるジャウラニ氏は8日、ダマスカス中心部で大勢の市民を前に演説し、「新たな歴史を作った」と勝利宣言した。米国などはHTSをテロ組織に指定している。ジャラリ首相は8日、「人々に選ばれた指導部と協調する準備ができている」と述べ、自由な選挙を行うよう求めた。政権移行に向けてジャウラニ氏と連絡を取っていると話した。
反体制派は8日早朝、首都に入った。政権側の抵抗には遭わなかったという。ダマスカス中心部の広場には数千人の市民が集まり、祝福し合う姿がみられた。各地の市民がアサド一族の銅像などを破壊している動画が出回っている。
HTSを主体とする反体制派は11月27日、北部アレッポや北西部イドリブで政権側への本格攻撃を開始。今月上旬にはハマや要衝ホムスなど中部の都市を制圧し、さらに南下を続けて予想外の速さで首都を手中にした。
アサド政権を支えたロシアは侵略したウクライナへの対応に追われ、イランやレバノンのヒズボラなど親イラン民兵組織もイスラエルとの戦闘に忙殺。双方のアサド政権への援護が手薄になった隙を突いた反体制派の攻撃が奏功した。
アサド氏は、1971年から大統領を務めて独裁体制を築いた父、ハフェズ・アサド氏の死去に伴い2000年に大統領に就任した。独裁体制を引き継いだが、「アラブの春」と呼ばれる11年の民主化要求デモを徹底弾圧し、内戦へと発展。支配地域は7割前後まで縮小していた。