袴田巌さんの再審=やり直し裁判が22日に結審となります。袴田さんの無罪の公算が大きいとされる中、56年前(1968)、静岡地裁で袴田さんに死刑判決を下した、元裁判官の“異例”の訴えとは…。
浜松市で暮らす袴田巌さん88歳。2014年に死刑執行が停止され釈放されましたが、いまだ死刑囚のままです。
1968年。袴田巌さんに死刑を告げた時の判決文。書いたのは、当時静岡地裁の熊本典道裁判官です。2007年、その熊本元裁判官が裁判の「評議の守秘義務」を破り衝撃の告白をします。
(熊本 典道 元裁判官)
「私は無罪だと思ってたから」「でている証拠で有罪にするのは無茶だと思った」
無罪だと思いながら死刑判決を書いたというのです。そして、2023年3月、この死刑判決が誤っている可能性があるとして裁判のやり直し=再審が決まりました。熊本元裁判官が無罪だと思った理由。そして、裁判のやり直しが決まった決め手となったのは…犯行時の着衣とされた重要な証拠“5点の衣類”でした。
事件は、さかのぼること58年前。旧清水市で、みそ製造会社の専務一家4人が殺害されその自宅に火が放たれました。放火・強盗殺人の疑いで逮捕されたのは、住み込み従業員だった袴田巌さん当時30歳。取り調べは連日、長時間に及び、逮捕から20日で自白。裁判では一転、無実を訴えましたが1980年に死刑が確定しました。
当初、犯行時の着衣は「パジャマ」とされていましたが、血痕がほとんど付着していないなど疑問が浮上し、犯行の決め手となる証拠とはなりませんでした。そして、事件から1年2か月後、突然、現場近くのみそタンクからはっきりと血が付着した“5点の衣類”が発見され検察は公判中に“異例”の「犯行着衣の変更」をしたのです。そして、“5点の衣類”が袴田さんを犯人だとする最も重要な証拠となりました。死刑判決を書いた熊本元裁判官は当時、公判中に異様な空気を感じたと話します。
(熊本 典道 元裁判官)
「検察官が読んだ起訴状に対して、意見どうですかと聞くと、彼の返事は『私はやっておりません』と非常に低い声でね。力むでもないし、ただ静かに穏やかに『私はやっておりません』その最初のその時の彼の印象がものすごい。今でも残ってます」
そして、重要な証拠「5点の衣類」については…
(熊本 典道 元裁判官)
「新しい5点の証拠(衣類)はおかしいと思った」「だからそっから先は後は僕の仕事はなんとかして2対1になること」
判決は3人の合議で決定。自らは無罪の心証を持ちながらも、死刑の判決文を書き、その翌年、裁判官を辞めます。そして、再審請求の審理が続いていた2014年、事態が大きく動きます。静岡地裁は、5点の衣類について「捜査機関によるねつ造の可能性がある」などと指摘。再審を認め袴田さんを釈放したのです。しかし、検察が不服を申し立て東京高裁で審理が続くことになりました。
2018年、東京高裁が再審の判断をする日。福岡市の病院でその行く末を見守ります。
(熊本さんの付き添い人)
「いまテレビで、再審を認めないって出たの…」
そして、2020年、自らの判決文に悔いを残しながら83歳でこの世を去りました。
2023年10月から静岡地裁で始まった再審で、最大の争点となっているのが“5点の衣類”。検察側は「袴田さんの犯行着衣」と主張する一方、弁護側は、事件から1年2か月後にみそタンクから発見された衣類の血痕に「赤み」が残っていて不自然と主張。独自のみそ漬け実験などもとに「血痕は1年以上みそ漬けすると黒くなる」と訴え、赤みのある血痕がついた衣類は「ねつ造された証拠」と訴えています。そして、福岡県の教会では…。
(熊本さんのパートナー 島内 和子さん)
「袴田事件はいつも巌さんに申し訳ないって、それだけですね」「すまん、すまんって」
熊本元裁判官とともに生活していたパートナーの島内和子さん。今も「無念を晴らしたい」と祈り続けています。
(熊本さんのパートナー 島内 和子さん)
「袴田事件を見届けずに死んじゃったのは、ちょっと辛かったと思います」「だけどもうすぐですよ完結するのは、頑張ってます、こちらも熊本さんも応援してください」
熊本さんが書いた死刑判決から56年、再審の審理は来週5月22日、終結する見込みです。
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