(徳増 ないる キャスター)
「袴田さんの裁判の結審を前に静岡地裁の前には傍聴を希望する多くの人たちが集まっています」
2024年10月から行われていた袴田巌さんの再審=やり直しの裁判は22日、結審を迎えました。一般傍聴席26席に対し、傍聴券を求めた人は224人。静岡地裁の前には袴田さんの無罪を求める多くの支援者も集まりました。
(傍聴券を求めた人)
「私が生まれてまもなくから始まった裁判で旧清水市出身なので」「袴田さんを応援してきました」
(名古屋から来た人)
「きょうが結審になると聞いたので、最後ひで子さんを応援したいと思ってきました」
長年、袴田さんを支えてきた支援者は…。
(袴田さんの支援者 山崎 俊樹さん)
「長かったです。まだ20代だった私がもう70歳を超えてしまいましたから」「やっとこの日が迎えられた、その思いです」
裁判への注目が高まる中、拘禁反応の影響で出廷が免除されている袴田さんは22日も、浜松市の自宅で過ごしています。袴田さんの代わりに法廷で最終意見陳述をすることになった姉・ひで子さんは、22日 朝、その思いを語りました。
(袴田 巌さんの姉・ひで子さん)
「この1年は長く感じましたね。実際に動いているということで58年闘っていますが、一番長く感じましたね」「巌の裁判なので、巌は話はできないから、巌に代わって巌の言いたいことを申し上げるつもり」
1966年、旧清水市で、みそ製造会社の専務の一家4人が殺害された事件で逮捕されたのが、住み込み従業員だった袴田巌さん。当時30歳でした。裁判で無罪を主張しましたが1980年に死刑が確定。その後も姉・ひで子さんや家族への手紙で無罪を訴え続けていました。
(袴田 巌さんの姉・ひで子さん)
「僕は犯人ではありません。毎日叫んでいます。静岡の風に乗って世間の人々の耳に届くことをひたすら、ただひたすら祈って、僕は叫ぶ」
届いた手紙は数千通以上。捜査機関のねつ造を指摘する内容も含まれていました。大きな動きがあったのは10年前。静岡地裁が再審開始を認め事件から48年ぶりに袴田さんは釈放されます。一度は決定を取り消されましたが、釈放から9年たった2024年3月、東京高裁が再審開始を認め、やり直しの裁判が行われることになりました。
再審公判で最大の争点となっているのが、事件から1年2か月後に みそタンクの中から見つかり、袴田さんの犯行着衣とされた“5点の衣類”です。弁護側は、衣類の血痕は「黒くなり」「赤みが残らない」ので、発見直前にみそタンクに入れられねつ造された証拠と主張。検察側は、独自の実験から「赤みが残ることはある」と反論しています。
再審公判で注目されたのが、3月に行われた証人尋問。弁護側の証人3人は血痕に「赤み」が残ることは「考えられない」として検察の主張を真っ向から否定しました。一方、検察側の証人として証言台に立った九州大学の池田名誉教授は、「1年2か月みそ漬けされた血痕に赤みは残らない」と弁護側の主張を肯定するような証言をしつつも、「みそタンク内の酸素濃度や乾燥の程度など、変色を妨げる要因の検討が不十分」と指摘しました。
そして、事件の発生から58年。再審公判が始まって7か月がたった5月22日。
(佐野 巧 記者)
「多くの支援者を背に、第15回 再審公判に向け、ひで子さんら弁護団が静岡地裁に入ります」
法廷で検察官は被害者遺族の意見陳述書を読み上げ、その中で遺族は「犯人に4人の命を奪われたことは忘れないでほしい。真実を明らかにしてほしい」と訴えました。そして午後…再審公判でも一貫して袴田さんが犯人だと主張してきた検察側は、再び「死刑」を求刑しました。5点の衣類については、血痕の「赤みは残りうる」として、袴田さんが犯人であることに合理的な疑いはないと主張しました。
袴田さんに代わり、最終意見陳述を行った姉のひで子さん。弟の無罪を訴え、法廷で何を語ったのでしょうか。
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