浜松市にある静岡県内唯一のスケートリンクが5月31日で58年の歴史に幕を下ろします。オリンピック選手も輩出した“聖地”の閉館。スケートリンクの新設を求める署名活動も始まっています。
浜松市中央区の浜松スポーツセンター。オープンと同時に次々とスケートファンが入っていきます。
(西尾 拓哉 記者)
「一般営業の最終日を迎え、スケートリンクには閉館を惜しむ多くのファンでにぎわっています」
県内のスケートリンクは かつて静岡や焼津にもありましたが、現在 残る屋内型施設は浜松スポーツセンターのみに…。しかし、老朽化や電気代の高騰をうけて5月末での閉館が決まりました。一般営業の最終日にはいつもの倍となる約650人が訪れ最後の“滑り”を楽しみました。
(中学生)
「何回も来ていて友達とも何回も滑っているので悲しいです」「(閉館すると)名古屋や豊橋に行くことになってしまう」
(浜松市民)
「子どものときからここには来ていて、すごい思い出がいっぱい詰まっていて」「しょうこも!」「一般市民が身近にできる施設がなくなることは本当にさみしいですね」
“ハマスポ”の愛称で親しまれてきた浜松スポーツセンターの屋内スケートリンクは1966年にオープン。大人から子どもまで気軽にウインタースポーツを楽しめるスポットして親しまれてきました。長年のファンからは惜しむ声が…。
ペットボトルを載せて滑る男性。30年利用してきたという前島 節さん71歳です。
(記者)
Q.「ペットボトルを載せるのは?」
(30年利用していた 前島 節さん)
「自分が考えた」「さみしいです。もう行くところがない。名古屋まで行くしかない。年金暮らしでは行けない」
前島さんが大切に持っていたのは…。
(30年利用していた 前島 節さん)
「30年前の常連はこんな感じ」
ハマスポのリンクで出会ったスケート仲間との写真を収めたアルバムです。ほぼ毎週末、藤枝の自宅から電車で1時間半かけて通い友達の輪を広げることが何よりの楽しみでした。
(30年利用していた 前島 節さん)
「常連客を連れてみんなで飲みに行った。一番の思い出」「みんなと会えなくなってしまう」
このリンクで育った元オリンピック選手もいます。元ショートトラック日本代表で浜松市出身の伊藤亜由子さんです。伊藤さんの思い出に残っているのがリンクにある売店…。
(ショートトラック元五輪選手 伊藤 亜由子さん)
「お父さんに連れてきてもらって」「オープンから終わりまでずっとこのリンクにいたので、お昼はこの売店で食べていました」
これは高校生のころ、ハマスポのリンクで練習していた伊藤さんの映像です。小学生から高校生までの間ここで実力を磨きました。そして、スピードスケートのショートトラックで3大会連続でオリンピック出場を果たし日本を代表する選手に昇り詰めました。
(ショートトラック元五輪選手 伊藤 亜由子さん)
「このリンクで初めて滑ってスケートを始めたので、そこからオリンピックに3回出させてもらったので、私の原点でもあるリンクなので、ここがなくなるというのは正直いまだに信じられないです」
最終日、家族でスケートリンクを訪れた伊藤さん。長女の心虹ちゃんと長男の心ノ助くんは最近スケートを体験し始めたといいます。心虹ちゃんは、まだ4歳ですが、大人の手を借りなくてもリンクの上で歩けるようになりました。
(ショートトラック元五輪選手 伊藤 亜由子さん)
「毎回リンクに連れてきて滑らせてあげたいと思っていたけれど、それがかなわないのが本当に残念ですね」
(26日・浜松市中央区)
「スケートリンク新設の署名へのご参加をよろしくお願いします」
県内にリンクの新設を求める動きも。県アイスホッケー連盟やスケート連盟などは、4月から署名活動を行っています。今後も市内の公園や浜松アリーナ、オンライン上で署名を集め浜松市に提出する予定です。
(浜松パイレーツ ジュニアアイスホッケークラブ 小学生)
「スケートリンクがなくなると困るので、それをみんなに伝えて署名活動をしています」
(浜松パイレーツ ジュニアアイスホッケークラブ 中学生)
「新しくメンバーを集められなくなるのが、チーム存続の危機になってしまうので問題だと思う」
元オリンピック選手の伊藤さんは「温暖な静岡でもウインタースポーツに打ち込める環境をなくさないでほしい」と訴えます。
(ショートトラック元五輪選手 伊藤 亜由子さん)
「オリンピックを目指している子どもたちはとても多くいますが、そういった子どもたちの練習する環境がなくなるのが一番つらい」「新しいリンクがつくれるように一人でも多くの方に協力していただきたいと思っています」