宇宙には恒星の大集団である銀河が無数に存在しています。その多くは回転していますが、銀河が銀河としてこの宇宙に存在している以上、銀河の回転速度は重力で恒星を引き留められる限界の速度以下のはずです。
ところが銀河の回転速度を実際に調べてみると、恒星の数をもとに見積もられた銀河の質量から推定される重力では恒星を引き留めることができないほどの高速で回転していることがわかっています。この結果は、光などの電磁波では観測することができず、重力を介してのみ間接的に存在を知ることができる「暗黒物質(ダークマター)」の存在を示唆しています。理論上、その量は電磁波で観測できる普通の物質の4倍以上もあることになります。
暗黒物質の正体は現在でも不明ですが、未知の素粒子や、それらの素粒子が結合してできた複合粒子が有力な候補の1つとして長年唱えられています。この場合、暗黒物質は重力の他に弱い相互作用 (※1) という力を通じてのみ検出可能な粒子であると考えられます。弱い相互作用は到達距離が極めて短く、検出は困難です。暗黒物質は私たちのすぐ隣に存在するかもしれませんが、まるで幽霊のような性質を持つために探索の目を逃れ続けていると考えられています。
※1…弱い相互作用: 最も基本的な4つの力のうちの1つであり、物質を構成する基本的な素粒子であるクォークの種類を変更する唯一の力である。その到達距離は1京分の1m以下と極めて短く、原子核内部に収まってしまうほどである。
暗黒物質を構成するのが未知の粒子だとすれば、それはどのような性質を持つのでしょうか?
暗黒物質の存在が疑いようもないと判明した1970年代、それは「WIMP(Weakly interacting massive particles)」と呼ばれるものであると考えられていました。WIMPはかなり重い粒子で、質量は少なくとも陽子の10倍と推定されています。
重い粒子は軽い粒子よりも動かされにくいため、熱などのエネルギーを与えられてもほとんど動きません。このため、WIMP同士は集合して大きな塊を作りやすいことになります。これは、現在の宇宙に暗黒物質が塊で存在するという観測結果と一致する性質です。また、WIMPを構成するであろう未知の粒子の正体は、複数の理論で予言されています。このため、WIMPは暗黒物質の有力候補でした。
ただし、暗黒物質の正体はWIMPであるという予測には「重力レンズ効果」をうまく説明できないという難題がありました。一般相対性理論によれば、重力は時空の歪みだと表現されます。光には空間をまっすぐ進む性質がありますが、時空が歪んでいるとその歪みに沿って進みます。例えば遠方の銀河の像は、それより手前にある重力源によって光の進行方向が曲げられることで、歪んだ像となる場合があります。このような現象は重力レンズ効果と呼ばれています。
重力レンズ効果を受けた銀河の像の歪み度合いから逆算すると、重力源の強さや物質分布を知ることができます。重力レンズ効果は、簡単には観測できない暗黒物質の存在量や分布、そして性質を知るための重要な手がかりとなるわけです。
ところが、暗黒物質がWIMPでできていると仮定した場合、予測される重力レンズ効果と実際の観測結果にズレが生じることが分かりました。WIMPでできた暗黒物質の塊は比較的綺麗な時空の歪みを生じさせるため、歪められた銀河の像も比較的綺麗な形をしているはずです。しかし、実際に観測された像はかなり複雑な形状をしていることが分かりました。このような像は、時空の歪みがかなりデコボコしていなければ説明がつきづらく、暗黒物質の密度にかなりムラがあることを意味しています。WIMPの性質からは、そのような分布は予測しがたいものとなっていました。
WIMPのように重い粒子では重力レンズ効果の予測と現実が一致しないことから、暗黒物質の正体は「アクシオン」 (※2) のような「超軽量粒子」だとする予想もあります。超軽量粒子は電子よりもはるかに軽いため、WIMPのようにまとまって塊になりにくいという問題があるものの、波としての性質 (※3) が強く表れるため、互いに干渉しやすいという特徴があります。超軽量粒子の干渉は暗黒物質の塊の中で密度にムラができやすくなることを意味するため、時空の歪みがかなりデコボコしているという観測結果と一致します。このような性質を持つ超軽量粒子はWIMPと並ぶ暗黒物質の有力候補ですが、どちらがより正しそうなのかは未解決の問題でした。また、WIMPと超軽量粒子では重さが文字通り桁違いの差があり、暗黒物質以外の面でも性質が大きく異なるため、背景となる理論の構築にも影響を与えます。この点でも、暗黒物質の正体がWIMPと超軽量粒子のどちらであるかは興味深い疑問です。
※2…アクシオン: 素粒子物理学の基本理論である標準模型では予言されていない素粒子の1つ。電子の1億分の1以下と極めて軽いながら質量があるとされているため、暗黒物質の有力候補として長年探索が行われているが、未発見である。
※3…この宇宙にある物質や力は、常に粒としての性質と波としての性質の両方を持っている。ただし大雑把に言えば、重い粒子であるほど粒としての性質が現れやすく、軽い粒子であるほど波としての性質が現れやすい傾向にある。暗黒物質候補の超軽量粒子は、WIMPと比べてずっと軽いため、波としての性質が現れやすい。
香港大学のAlfred Amruth氏らの研究チームは、重力レンズ効果による銀河の像の歪みをモデル化し、実際の観測結果と照らし合わせる作業を行いました。近年、技術革新によって銀河の像の高精度な撮影ができるようになったため、暗黒物質の細かい分布構造から予測される像の歪みと、実際の写真とを細かく比較できるようになりました。WIMPと超軽量粒子それぞれの理論に従ったモデルを構築し、どちらの方がより実際の写真に近いかどうかを比較検討できるようになったのです。
研究チームがWIMPと超軽量粒子のそれぞれのモデルを比較検討した結果、「暗黒物質は超軽量粒子でできている」とするモデルの方が、実際の観測成果とよく合致することが示されました。
今回の研究では、2001年に発見されたクエーサー「HS 0810+2554」に対するモデル適用の結果が特に重要でした。HS 0810+2554は重力レンズ効果によって像が4つに分裂していますが、モデルを利用して分裂後の位置や明るさの予測を行ったところ、超軽量粒子のモデルでは全ての像の再現に成功したのに対し、WIMPのモデルではほとんどの場合失敗しました。このため、暗黒物質は超軽量粒子でできているという可能性が高まりました。
暗黒物質は超軽量粒子でできているという予測は、他の研究とも矛盾しません。例えばWIMPは探索開始からほぼ半世紀経った現在でも未発見です。未探索の範囲にある粒子は余りにも大きい質量を持っているため、仮にその領域にWIMPが存在したとしても、暗黒物質としての性質を満たさないと考えられます。
また、超軽量粒子の波としての性質は「衛星銀河」の観測結果とも合致します。天の川銀河の周囲には小さな銀河である衛星銀河が50個ほど発見されていますが、これは標準的な銀河系形成理論による予測と比べて大幅に少ない数です。もしも暗黒物質が超軽量粒子で構成されているとすれば、超軽量粒子の波としての性質が特定の質量よりも軽い銀河の形成を妨げるために比較的大きな衛星銀河しか形成されず、衛星銀河の数の少なさを説明できるのです。
さらに、超軽量粒子は標準模型 (素粒子物理学の基本理論) に含まれない素粒子であると予測されているため、発見そのものが物理学上極めて重要な意味を持ちます。このように、暗黒物質の正体を探る研究は、他の分野の謎の解決にも役立つ可能性があります。
ただし、暗黒物質を構成しているであろう超軽量粒子も未だに発見されておらず、WIMPと比べても探索はさらに困難です。もし見つかれば、ここ数十年の物理学で最大の発見の1つになるでしょうが、今のところその兆候すらありません。暗黒物質の正体判明にはまだまだ時間がかかりそうです。
Source
Alfred Amruth, et.al. “Einstein rings modulated by wavelike dark matter from anomalies in gravitationally lensed images”. (Nature Astronomy) “HKU Astrophysicists Reveal the Nature of Dark Matter through the Study of Crinkles in Spacetime”. (University of Hong Kong)文/彩恵りり