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JAXAを退職する若田光一宇宙飛行士が記者会見 今後は民間から宇宙開発に貢献

sorae.jp 2024年3月29日 19時18分

宇宙航空研究開発機構(JAXA)を退職する若田光一宇宙飛行士は2024年3月29日に記者会見を開き、宇宙飛行士として過ごした32年間を振り返りつつ、今後の活動についての抱負を語りました。【最終更新:2024年3月29日17時台】

【▲ 記者会見を終えてスタッフから花束を手渡された若田光一さん。JAXAのライブ配信から(Credit: JAXA)】

1996年から2003年にかけて5回の宇宙飛行ミッション(※詳しくは後述)を経験した若田さんは、月や火星の探査を含む各国政府の有人宇宙活動の持続的な発展には民間主導による地球低軌道での有人宇宙活動の成功が鍵になると自身の考えを述べた上で、これまでの宇宙飛行士としての経験を活かして民間による活動を盛り上げ、国際宇宙ステーション(ISS)運用終了後の地球低軌道における活動推進に尽力することで有人宇宙活動全体の持続的な発展に貢献できると考え、その先駆者の一人として仕事をしていきたいという思いに至ったのがJAXA退職を決断した理由だと語りました。

そのような思いを強くしたのはJAXAの宇宙飛行士として最後のミッションとなったアメリカ航空宇宙局(NASA)の「Crew-5」ミッションで地球へ帰還した2023年3月以降のことで、JAXAでやり残したと感じるものも多く、つい最近までなかなか決断できなかったといいます。また、今後の宇宙飛行について問われた若田さんは、可能性についてはわからないと前置きした上で「6度でなく7度でも8度でも行きたい」と意欲を語り、自分や日本のチームが経験できなかったことに今後も挑戦していきたいと力強く回答していました。

【▲ NASAのCrew-5ミッションを終えて帰還し、スペースXの回収船「シャノン」の船上で笑顔を見せる若田光一さん。2023年3月撮影(Credit: NASA/Keegan Barber)】

近年はアメリカのスペースXをはじめ、人工衛星の打ち上げだけでなく有人宇宙飛行ミッションや無人月探査ミッションにも力を注ぐ民間宇宙企業が幾つも登場しており、宇宙開発は民間の活力が加わった新たなステージに入っています。NASA宇宙飛行士室のISS運用ブランチチーフを日本人として初めて務めた他に、JAXAでは理事や特別参与を兼務しつつ宇宙飛行士として活動し続けた若田さん。2024年3月31日をもってJAXAを退職した後、活動の場を民間に移してからの活躍も注目されます。

■若田光一宇宙飛行士のこれまでの歩み 【▲ 宇宙開発事業団(NASDA・当時)による宇宙飛行士候補選抜時の記者会見に臨む若田光一さん(Credit: JAXA)】

1963年に埼玉県で生まれた若田さんは1989年に日本航空へ入社し、その3年後の1992年に宇宙開発事業団(NASDA・当時)の宇宙飛行士候補として選抜されました。若田さんが選抜された頃は国際宇宙ステーション(ISS)の建設開始を数年後に控えた時期で、日本の宇宙飛行士候補募集もISSに取り付けられる日本実験棟「きぼう」の組み立てと運用を見据えての実施でした。

1993年にNASAからスペースシャトルのミッションスペシャリストとして認定を受けた若田さんは、1996年1月に実施されたNASAの「STS-72」ミッションで最初の宇宙飛行を行いました。このミッションで若田さんは日本人初のミッションスペシャリストを務め、前年(1995年)3月に打ち上げられていた日本の実験衛星「宇宙実験・観測フリーフライヤ(SFU)」の回収作業におけるロボットアーム(カナダアーム)の操作などに従事しています。

【▲ 初の宇宙飛行ミッションとなったNASAのSTS-72でスペースシャトルのロボットアームを操作する若田光一さん。1996年1月11日撮影(Credit: JAXA/NASA)】

4年後の2000年10月にはNASAの「STS-92」ミッションで再びスペースシャトルに搭乗した若田さんは、日本人として初めてISSの建設作業に参加。ISSの姿勢を制御するコントロールモーメントジャイロ(CMG)や通信アンテナが取り付けられている「Z1トラス」と、宇宙船のドッキングポートとなる与圧結合アダプター「PMA-3」の取り付け作業を行いました。

その9年後、若田さんは3回目の宇宙飛行にて日本人初のISS長期滞在を実施しました。2009年3月に実施されたNASAの「STS-119」ミッションでISSに到着した若田さんは、巨大な太陽電池アレイを備えたISS右舷の「S6トラス」取り付け作業を支援。STS-119のスペースシャトル帰還後もそのままISSに滞在し、2009年7月の「STS-127」ミッションでスペースシャトルが運んだ「きぼう」船外実験プラットフォームの取り付けなどを行いました。最終段階の組み立て作業を行い「きぼう」の完成に立ち会った若田さんは、STS-127のスペースシャトルに搭乗して地球に帰還しました。

【▲ 国際宇宙ステーション(ISS)で書いた書き初めを手にする長期滞在中の若田光一さん。2014年1月1日撮影(Credit: JAXA/NASA)】

3回の宇宙飛行で搭乗したスペースシャトルが退役した後の2013年11月、ロシアの宇宙船「ソユーズTMA-11M」に搭乗してISSに向かった若田さんは2014年5月までの半年間にわたる2回目の長期滞在を行いました。後半の第38次長期滞在では日本人初のISS船長(コマンダー)に就任し、ISSに滞在しているクルーの指揮を執る重要な任務に就いています。

そして2022年10月、若田さんはNASAの「Crew-5」ミッションでミッションスペシャリストとしてスペースXの宇宙船「クルードラゴン」に搭乗し、2023年3月までの5か月間にわたる3回目のISS長期滞在を実施。これまでJAXAの宇宙飛行士として幾つもの“日本人初”を記録してきた若田さんも船外活動はまだ経験したことがありませんでしたが、このミッションではNASAのニコール・マン(Nicole Mann)宇宙飛行士とともに合計2回の船外活動を行い、増設作業が進められていた新型太陽電池アレイ「iROSA」を取り付けるための架台を設置しました。また、13年前に完成に立ち会った「きぼう」でも実験などを行っています。

【▲ 国際宇宙ステーション(ISS)で船外活動を行う若田光一さん。2023年2月2日撮影(Credit: NASA)】

2024年3月29日時点での若田さんの通算宇宙滞在時間は504日18時間35分、通算ISS滞在時間は482日15時間57分で、どちらもこの時点で日本人宇宙飛行士の最長記録となっています。

 

Source

JAXA - 若田光一宇宙飛行士の記者会見(YouTube) JAXA 有人宇宙技術部門 - 若田 光一 宇宙飛行士

文・編集/sorae編集部

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