小惑星から直接採集したサンプルは、地球の生物に汚染されていないこと、大量に採集できないことから、最も貴重な科学サンプルです。このためサンプルの取り扱い時には、汚染に対して細心の注意が図られます。
インペリアル・カレッジ・ロンドンのMatthew J. Genge氏を筆頭著者とする国際研究チームは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の小惑星探査機「はやぶさ2」が採集した小惑星「リュウグウ」のサンプルを観察したところ、生物の細胞が付着していることを確認しました。
もちろんこれは地球外生物ではなく、地球のどこにでもいるありふれた細菌であることがすぐに明らかとなっています。また、細菌の成長度合いからすると、研究を行ったインペリアル・カレッジ・ロンドンでの取り扱い中に細菌が付着した可能性が高いと考えられます。
今回の結果は、小惑星のサンプルのような貴重品を取り扱う際には、普段している以上の汚染対策を行うべきであることを強調しています。一方で逆説的ではあるものの、JAXAにおけるサンプル取り扱い時の汚染対策がいかに厳重かつ適切であったかを示しています。さらに今回の結果は、小惑星サンプルの取り扱い方法だけでなく、月や火星へ向かう探査機の汚染対策や、隕石に含まれる生物のような構造の解釈など、様々な方面にも影響を与えそうです。
天体サンプルの取り扱いで汚染対策をする理由地球は生物がいることが確認されている唯一の天体ですが、生物の多様性と環境への適応性は驚くべきものがあり、生物が存在しない場所はないと言えるほどです。深海底、強酸性の熱水、ヒ素や重金属に汚染された湖沼、地下数kmの岩石のわずかな隙間、原子炉の内部、クリーンルームにさえ生物は見つかっています。
このため、地球に落ちてきた隕石のように、地球外の物質は地球にやってきた時点で地球の生物による汚染を受けることになります。いくつかの隕石の内部では生物が見つかることがありますが、これらは地球外生物ではなく、地球の生物による汚染であることが明らかになっています。地球の生物による汚染を徹底的に避けるには、現状では宇宙で直接物質を採集することが最善策となります。
生物の汚染は、サンプルの分析結果に重大な影響を与えます。生物が物質を取り込んで代謝すると、岩石に含まれる物質の成分や構造が変化します。例えば同位体比率(※1)は、天体が形成された当時の環境を推定する上で重要な数値ですが、生物による代謝でも同位体比率は変化します。また、生物の活動で生じる有機物の膜は、生物が関与せずとも生成される有機物の膜と構造が似ています。すなわち生物汚染は、天体が持つ元々の性質なのか、それとも生物によって変質した結果なのかを不明瞭にしてしまいます。
※1…同じ元素(化学的性質)に分類されるものの、異なる重さを持つ原子のことを同位体と呼びます。
各国の宇宙機関が、宇宙に探査機を送り込んで天体サンプルの採集を計画している、あるいはすでに実行済みである背景はここにあります。太陽系や地球、ひいては地球の生物の起源といった究極の疑問に答えるためには、地球の生物による汚染を徹底的に排除しなければなりません。サンプルリターンミッションは、多額のコストをかけるだけの科学的な価値があります。
もちろん、苦労して地球に持ち帰った天体のサンプルが、地球での開封時に汚染されてしまっては元も子もありません。このためサンプルリターンミッションでは、開封してから分析するまでの間に、徹底的な生物汚染排除の対策が求められます。
リュウグウのサンプルで見つかった汚染が示すものJAXAの小惑星探査機「はやぶさ2」が採集した162173番小惑星「リュウグウ」のサンプルを収めた帰還カプセルは、2020年に地球に帰還しました。サンプルは世界中の様々な研究機関が分析を行うため、JAXAの施設で配布用の容器に詰め替えられました。この時、カプセルからの取り出しと、配布用容器への密閉に至るまで、全てクリーンルーム内で取り扱われました。地球に帰還したカプセルは真空に近い環境で開封され、配布されるサンプルは窒素で満たされた容器内に封印されました。
Genge氏を筆頭著者とする国際研究チームは、サンプルが配布された研究チームの1つであり、1.0mm×0.8mmの微小なサンプル(サンプル番号A0180)を分析しました。分析の過程でサンプルの表面を電子顕微鏡で観察したところ、サンプルの表面に生物の細胞に類似した糸状の構造を発見したことを論文で報告しました。「厳重に管理されているはずの小惑星のサンプルに生物の細胞が付着している」という話は、一見すると地球外生物の発見にも思えます。
しかし、今回見つかった細胞の形状は、地球で普遍的に見られる細菌の細胞ととても似ています。正確な種の特定にはDNAの分析などをしなければなりませんが、研究チームは細胞の形状と、どこにでもいるという普遍性から、細菌はバシラス属(バチルス属)の仲間だと推定しています。変種の納豆菌がよく知られている枯草菌、病原体である炭疽菌やセレウス菌などを含む非常に広いグループです。もし仮に、リュウグウに独自の生物が生息していたとすれば、何十億年も前に誕生・進化した生物が、地球の生物と区別がつかないほど似ている、というあり得そうもない偶然が起きないといけないことになります。
リュウグウのサンプルに地球の細菌が付着しているということは、サンプルが地球の物質による汚染を受けたことになります。その汚染は、Genge氏らの研究チームが、分析のためにサンプルを取り出したタイミングであると同研究チームは考えています。まず、見つかった細菌の数や成長度合いは、汚染から電子顕微鏡による観察までに約5.2日経過したことを示しています。リュウグウのサンプルが詰め替えられてからGenge氏らが開封するまで1年以上かかったことを考えると、時間が合いません。
また、Genge氏らは開封前にX線ナノCTでサンプルの立体形状を撮影しており、開封前のサンプルに生物細胞は付着していないことを確認しています(※2)。従って、JAXAでの詰め替え時に汚染されたとは考えにくいことです。Genge氏らも論文内で、JAXAでの汚染管理プロトコルは「最高水準(highest standard)」であると述べており、JAXAでの取り扱い中に汚染されたとは考えていません。
※2…今回の論文では、解像度の問題があり、生物細胞を見逃してしまう可能性はゼロではない、とも述べていますが、本文の通り他の角度からの観点も併せると、開封前の付着の可能性は排除できます。
Genge氏らがサンプルを取り扱った際の状況は論文内に書かれています。その中の気になる記述として、分析用にサンプルを加工するために開封した際、「地球大気に晒された(exposure to terrestrial atmosphere)」と書かれています。取り扱った器具の滅菌状況は説明されているものの、大気については特に滅菌状況が説明されておらず、このタイミングで汚染されたと考えるのが妥当です。この後サンプルは分析用に炭素薄膜とエポキシ樹脂で周りをコーティングされたこと、汚染から発見まで約5.2日という時間は、開封からコーティングまでの時間とほぼ一致すること、表面をカットした断面には生物細胞が付着していないことから、Genge氏らがインペリアル・カレッジ・ロンドンにてサンプルを取り扱ったタイミングで汚染された、と考えるのが妥当なのは間違いありません。
様々な注意を喚起する出来事今回のリュウグウサンプルにおける汚染の発見は、生物は地球のどこにでもいるという状況を再確認させ、より一層生物汚染に注意を払うべきであることを注意喚起するものです。リュウグウのサンプルのように有機物に富む岩石は、細菌にとってはビュッフェも同然であり、増殖しやすいために余計に注意を払わないといけません。そして逆説的ながら、今回の汚染の発見により、JAXAでの汚染対策は極めて高い水準であることが証明された形となります。
付着からわずかな時間で細菌が増殖したことは、月や火星などの環境に地球の生物が持ち込まれた際に、急激に増殖する恐れがあることを示唆しています。月や火星の表面は温度や大気など、有機物が豊富な小惑星よりも生物にとって居心地の良い環境が整っている場合があるためです。JAXAでサンプルを取り扱った時の状況は、今後の宇宙探査機の汚染対策において参考や基準となる可能性もあります。
また、有名な「アラン・ヒルズ84001」を始めとして、隕石から生物細胞と思えるような化石化(※3)した構造を発見したという主張が稀に出てくることもあります。化石化とはすなわち、地球に落下する以前に付着していたことを主張しています。今回発見された細胞の構造や元素分析の結果は、それらの “化石” ととても類似しています。このことから、今後宇宙のサンプルで細胞のような構造が見つかったとしても、真に地球外生物の発見とするには、厳格に汚染が排除されていることを証明しなければいけないことを示しています。
※3…ここで言う化石化とは、細胞のような構造に、生体組織に必須である窒素が欠けていることで定義されます。今回の研究では窒素を検出するのに十分な分析装置を使用したにも関わらず、窒素を見つけることはできませんでした。また、実験条件下では24時間以内に “化石化” することが示されています。
そして、この話題を報じた記事の一部には、汚染のタイミングを「JAXAでの取り扱い中に起こった」と誤って説明したり、そのような誤認をしかねない内容もありました。今回の論文やほとんどの記事では、汚染のタイミングはイギリスに輸送後の開封時であるときちんと書かれていましたが、一部の誤った説明による間違った方向へ話題が広がった結果を受けてなのか、JAXAのISAS(宇宙科学研究所)が『リュウグウ粒子から微生物汚染が見つかったとする論文について』と題する説明を行うまでに至りました。一見するとセンセーショナルと思える話題は、真偽について注意しなければならないと同時に、筆者を含めた研究内容を報じるメディア側も、伝える内容に誤りがないことを再確認すべきであることを提起する話題であると考えます。
最後に、Genge氏らの研究チームがサンプル配布を受けるにあたって申請した内容は「リュウグウ粒子と地球上で見つかる微隕石との比較研究」というものでした。今回の研究論文は申請内容と異なっており、JAXAとしては今回の研究に対する評価や選定を行わないと明言しています。今後、申請内容に沿った研究が行われるのかは不明ですが、研究が実行されることを期待すべきでしょう。
300℃で加熱した「CIコンドライト」は「リュウグウ」のサンプルに似ることが判明(2024年1月3日)
Source
Matthew J. Genge, et al. “Rapid colonization of a space-returned Ryugu sample by terrestrial microorganisms”.(Meteoritics & Planetary Science) Justin Jackson. “Ryugu asteroid sample rapidly colonized by terrestrial life despite strict contamination control”.(Phys.org) Robert Lea. “Japan's priceless asteroid Ryugu sample got 'rapidly colonized' by Earth bacteria”.(Space.com) Brian Koberlein. “Asteroid Samples Returned to Earth Were Immediately Colonized by Bacteria”.(Universe Today) “リュウグウ粒子から微生物汚染が見つかったとする論文について”.(宇宙科学研究所)文/彩恵りり 編集/sorae編集部
#リュウグウ #はやぶさ2 #JAXA