限界を打ち破るH3ロケット
前編では、快進撃を続けているように見えるスペースXが、実際にはかなりの窮地に陥っていることを解説しつつ、そのライバルとしてのH-IIAロケットの実力を見てきた。H-IIAロケットは優れたロケットだが、打ち上げ能力と価格の両面で、ファルコン9には今一歩及んでいない。
これらの事情を一挙に打開するべく開発中の新型ロケットが、H3ロケットだ。H3ロケットは目標価格が50億円ということだけが独り歩きしている感があるが、それは地球観測衛星などを打ち上げる最小構成の価格。ブースターの追加などで4つの構成が計画されており、静止衛星打ち上げ能力6.5tのH3-24L型は70億円程度と推定される。ファルコン9よりやや高額だが打ち上げ能力は遜色なく、総合的にはほぼ拮抗していると言えよう。
2020年に初飛行を予定するH3ロケットで殴り込めば、ファルコン9も恐れるに足らず…と言うには、まだ苦しい事情がある。
やり繰りが苦しい種子島宇宙センター
ファルコン9には現在、3個所の発射台がある。静止衛星や宇宙ステーション向けのロケットは、フロリダのケープカナベラル空軍基地、ケネディ宇宙センターの2個所(と言っても隣接する施設だが)から東へ打ち上げる。地球観測衛星などは南へ打ち上げるが、フロリダから南へ飛ばすとキューバや中米の上空を通ってしまうので、カリフォルニアのバンデンバーグ空軍基地から打ち上げる。さらにニューメキシコに建設中の民間発射場を合わせると、4か所から打ち上げ可能だ。
一方、H3ロケットは種子島宇宙センターの1箇所だけで、全ての打ち上げを行う。現在は発射台とロケット組立設備が2組あるが、片方はH-IIBロケット用なのでH-IIAロケットが使えるのはもう一方だけ。H3ロケットではコスト削減のため1組を休止する予定だ。スペースXは4か所で年20機のファルコン9を打ち上げようとしているが、1か所あたりでは5機と考えるなら、最大6機を打ち上げている種子島も同じくらい忙しい。むしろ、発射場が1つしかないので、衛星の打ち上げ希望時期が近接した場合の調整が大変だ。
実際、今年の種子島では宇宙ステーション補給機「こうのとり6号」の組立中に不具合が見つかり、気象衛星「ひまわり9号」の打ち上げが先になった。幸い「こうのとり6号」はH-IIBロケット、「ひまわり9号」はH-IIAロケットなので並行して準備が可能だが、H3ロケットでは施設が1つになるのでやり繰りが大変だろう。
衛星受け入れ準備も不足
打ち上げ施設ばかりではない。ロケット発射場には人工衛星の整備施設という役割もある。工場から運ばれてきた人工衛星は、コンテナから出して梱包を解き、最終組み立てや点検、電池の充電、推進剤の充填などを行う。これらの作業を行うのは一般に衛星メーカーの技術者で、企業秘密もあるから専用スペースが望ましい。種子島宇宙センターには作業スペースとして「衛星組立棟」と、ロケットへの取り付け作業を行う「衛星フェアリング組立棟」があるが、それぞれ2棟ずつしかない。これらの施設のスケジュール調整もしなければ、衛星の連続打ち上げはままならない。
さらに衛星の輸送体制も問題だ。日本国内で製造された衛星は、種子島南部の島間港に海上輸送される。しかし、外国で製造された衛星を空輸した場合、種子島空港で受け入れることはできない。空港から種子島宇宙センターへ運ぶ道路にトンネルがあるので、特大コンテナは通れないのだ。そこで過去には鹿児島空港を利用した例があるが、内陸の空港からトレーラーで港へ輸送し、そこで船に積み替えるのは手間と時間がかかる。港湾施設を備えた中部国際空港を利用する手もあるが、種子島まで海路の日数がかかる。
ロケット発射場を空港とすれば、衛星の整備施設は旅客ターミナルビル、発射場への衛星輸送インフラは空港アクセス交通のようなものだ。航空会社がいくら良い飛行機を導入しても、これらの施設が整備されなければ乗客を増やすことはできない。
縦割り行政で孤立無援
これらの問題解決を阻んでいるのは縦割り行政だ。H3ロケットの開発を担っているのは文部科学省だが、文部科学省は年間6機のH3ロケット打ち上げに対応可能なようにロケットを開発するのが仕事であって、商業衛星打ち上げへの「サービス施設」充実にまで予算が回らない。商業活動を支援するはずの経済産業省は、この点に口も予算も出さずに静観している。産業活性化のために空港や道路などのインフラを整備するのは国土交通省の仕事だが、「宇宙ロケット打ち上げ産業」は眼中にないようだ。
H3ロケットは最小構成で50億円を目標価格としているが、これは年平均5機以上の打ち上げを達成できた場合とされているので、それより少なければ割高になる可能性もある。これまでH-IIAロケットが年5機以上打ち上げられたことはあるが、ほとんどが日本政府の衛星だ。いわば身内の衛星だから、種子島の事情で打ち上げ時期を調整することはある程度可能だったろう。しかし、日本政府の打ち上げが2機しかないような年に商業受注を3機、4機と取ってくるには、顧客が求める打ち上げ時期に合わせられるよう、調整余力が必要だ。また多い年には7機、8機と打ち上げできなければ平均5機には達しないだろう。
H3ロケットの性能や、ロケットそのものの運用の柔軟性は現時点で充分に優れたものだ。スペースXはファルコン9の再使用でさらにコストを下げてくると予想されるが、実際にどの程度下げられるかはやってみないとわからない。しかし、たとえスペースXの値下げ攻勢が難航したとしても、H3ロケットのアキレス腱はむしろロケットそのものより、ロケット打ち上げを技術先進国日本の象徴的産業として育成していこうという意識が充分に共有されていない、政府の縦割り行政にあると言える。
商業打ち上げ受注を担う三菱重工業に、日本政府にわがままを言えと言っているのではない。スペースXの発射場があるのはNASAのケネディ宇宙センター、ケープカナベラル空軍基地、バンデンバーグ空軍基地の敷地内で、いずれも道路や空港などのインフラ整備は政府が行った場所だ。さらにニューメキシコの発射場は、州政府(日本で言えば県庁か)が誘致したもの。国や地域を挙げて宇宙ロケットビジネスという「産業」や「雇用」を支援しているのだ。もちろん、ロシアや中国の宇宙開発が国策的に支援されていることは言うまでもない。
「宇宙の航空会社」、アリアンスペースの戦略
ここでもうひとつのライバル、ヨーロッパのアリアンロケットを見てみよう。アリアンロケットはもともと日本とも似た歴史をたどりながら、宇宙ビジネスでは全く違う道を歩んできた。
アリアンロケットと日本の宇宙ロケット(特にH-IIAロケットなどの実用衛星打ち上げ機)のスタートはよく似ている。どちらも、アメリカに衛星を打ち上げてもらうのではなく、自国の手で自主的に宇宙開発をしようと考えたところからスタートした。アリアンロケットはヨーロッパ共同の計画なので開発主体はヨーロッパ宇宙機関(ESA)で、フランスを中心にイタリアやドイツなどが参加している。
しかし、衛星打ち上げ市場の半分程度のシェアを誇るアリアン5に対して、H-IIAロケットは近年ようやく年1機程度の打ち上げを受注し始めている程度だ。この大きな違いのひとつに、打ち上げビジネスの体制がある。日本のH-IIAロケットは、JAXAが中心となって開発したものだが、徐々に製造メーカーである三菱重工業に業務を移管し、現在は部品調達や製造、種子島への輸送や組み立て、打ち上げなどの作業を三菱重工業が行っている。また衛星打ち上げの商業受注活動も三菱重工業が行っている。
一方、アリアンロケットを製造しているのはエアバスグループのメーカーであって、打ち上げを受注してロケットを購入し、打ち上げ作業を行っているのはアリアンスペースという独立した企業だ。アリアンスペースはいわば、購入した飛行機に客を乗せて飛ばし、チケットを売って利益を上げる航空会社のような存在だ。
アリアンスペース社はロケット製造能力を持っているわけではないので、赤字になって倒産してもヨーロッパのロケット打ち上げ能力は失われない。一方、より多くの商業受注をするためにロケットを安く調達できるよう、将来の打ち上げ見込み分を一括発注(まとめ買い)するための借金もしているが、アリアンスペースはヨーロッパ各国政府出資の国営企業なので、経営リスクは政府が負っている。
政府は「売れるロケットを作れ」と言うが
日本では三菱重工業が、打ち上げ企業と製造メーカーを兼ねている。打ち上げ企業としての経営リスクと製造メーカーとしてのリスクの両方を考えなければいけないから、その動きはどうしても慎重になる。基本的にJAXAが開発費を負担し、日本政府機関の打ち上げは確実に発注され、原価に従った価格で購入されるという体制だから、商業受注できなくても赤字にはなりにくい。リスクを負ってでも宇宙ビジネスを成功させなければ会社が存続できない、というアリアンスペースとは根本的に異なる。
スペースXやブルーオリジンなども打ち上げと製造の両方を行っているが、どちらも宇宙開発専門の企業だ。ロケットが売れなければ会社が存続できないという点でアリアンスペースと変わりないし、国出資ではなく創業者をはじめとする民間出資の企業だ。一方で、エアバスグループや三菱重工業は、ロケット事業で過大なリスクを負わないよう社内から求められるという意味で、やはり民間企業としてのシビアさがあるだろう。
もちろん三菱重工業も商業打ち上げの受注に本気で取り組んでいるし、JAXAもH3ロケットを「世界の人に使ってもらえるロケット」にしようと考えている。しかし、H3ロケット開発プロジェクトの主体はあくまで、日本政府だ。三菱重工業はH3ロケットの仕様を自由に変えることはできないから、純粋な自社製品としてリスクを負ってのビジネスは難しい。JAXAも政府が決めた予算と計画の範囲内でしか動けない。
政府はJAXAと三菱重工業に「売れるロケットを作れ」と指示しているが、政府がリスクを負ってビジネス展開するアリアンスペースのような体制を構築してはいないし、種子島宇宙センターの拡張や種子島の道路整備などの予算措置はされていない。どれほど優秀なロケットを開発してもロケット以外が変わらず、孤立無援の状況では使いやすい「輸送サービス」にはならないだろう。
2020年「ロケットオリンピック」は予選から混戦模様
アメリカにはスペースX以外にも、ULAやオービタルATK、ブルーオリジンといった宇宙ロケット打ち上げ企業がある。NASAや軍から膨大な打ち上げの発注があるとはいえ、これほど多くの企業が全て成功するかはわからない。さらに、スペースXを皮切りに次々とロケット再使用化を打ち出しており、成功すれば大幅なコストダウンで他社を突き放そうとするだろう。宇宙ロケット打ち上げは生存競争の時代だ。
さらにアリアンスペースも、価格を大幅に抑えるアリアン6ロケットを投入してくる。ロシアでは新型ロケット「アンガラ」、中国でも設計を一新した新世代「長征」シリーズの運用が始まる。インドのロケットも運用が安定してきた。これらのロケットは全て、2020年前後に出揃うはずだ。まさに「2020年ロケットオリンピック」へ向け、各国・各企業の計画が猛然とダッシュを掛けつつあるのが今、2016年と言える。「メダルを取れるか」どころではない。大型ロケット競技の予選出場者だけで2桁に達する勢いなのだ。
果たして、省庁間の足並みも揃わず、リスクを負ってでもロケット打ち上げビジネスを成功させようという枠組みも存在しない中で、我が国の切り札であるH3ロケットはその技術的ポテンシャルを活かし、本戦へ進むことができるのか。「暫定王者」スペースXは他者を突き放せるのか。混戦の行方を占うことはまだ難しい。
Image Credit: JAXA、三菱重工業、鹿児島県、BLUE ORIGIN、大貫剛
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