「かぐや」は何を残したのか
2007年9月14日…いまからちょうど10年前、種子島の青空に吸い込まれるように、H−IIAロケットが宇宙へと旅立って行きました。その先頭部分には、月探査衛星「かぐや」が格納されていました。
「アポロ以来最大級の月探査」と銘打ち、10年以上にわたる検討・開発期間をかけ、555億円もの予算を費やし、そして14もの測定機器を搭載するという、月・惑星探査としては異例の大きさを持つ探査機「かぐや」。同年10月に月に到着し、12月から本格観測を開始しました。当初予定では10ヶ月の観測期間を予定していましたが、燃料の残りが多かったことからミッションを延長、最終的には1年10ヶ月にわたって、月上空からの観測を実施しました。そして燃料が残り少なくなったことから、月の特定地点への衝突「制御衝突」という形でミッションを終わらせることが検討され、2009年6月11日、月の南半球、ギル・クレーター付近に落下しました。当時の新聞は、「かぐや、月に還る」と報道したものです。
大量の観測機器を搭載しているだけあって、「かぐや」は大量のデータを地球に送ってきました。とりわけ、当時としては最高性能を誇るカメラは月面の詳細な画像を取得、さらにスペクトロメーター(光を分ける…分光することによって、地表の元素や鉱物などの種類や割合を調べる装置)は、月面の岩石を極めて細かく調べました。
搭載されていたレーザー高度計は、月表面の数千万点の高度データを取得、それにより付きの地形がこれまでになくはっきりとわかってきました。
打ち上げから10年。現在も「かぐや」によって地球に送られてきたデータは、科学者の手によって解析が続けられています。
「かぐや」によって新たにわかったことは数多くあります。そのいくつかをごく簡単にみていきましょう。
まずは縦穴の発見です。「かぐや」のカメラが、月面に縦穴が存在していることを発見しました。それまでにも理論的には予言されていましたが、実際に見つけたのは「かぐや」がはじめてで、カメラの高解像度が成し得た快挙でした。
カメラはまた、南極のシャックルトン・クレーターの永久影を撮影し、そこに水(氷)がないことを明らかにしました。月の水の存在に一石を投じる成果となっています。
レーザー高度計とカメラ、スペクトロメーターを組み合わせることで、月面の3次元地図が作られました。そして、月の最高地点・最低地点も判明しました。もっとも高いところが月の平均高度から約10.75キロ、最低地点が同じく約9.06キロとなっており、しかも両者は月の裏側でかなり近い位置にあることがわかりました。月の裏側がこのように起伏の激しい地形になっている理由は、これから解明されていくことでしょう。
ほかにも、科学的成果ではありませんが、「かぐや」に搭載されたハイビジョンカメラは、月の美しい風景を多数撮影しました。また世界初の快挙として、月の満地球の出、満地球の入りを動画で撮影することにも成功しました。
「かぐや」は科学的成果もさることながら、月探査の流れを加速させたという点でも大きな意味を持っています。
「かぐや」をきっかけにして、その1ヶ月後に打ち上げられた中国の嫦娥1号、翌年打ち上げられたインドの「チャンドラヤーン1」、2009年に打ち上げられたアメリカの「ルナー・リコネサンス・オービター」など、21世紀の月探査の先駆け(実際には2003年にヨーロッパが月探査機「スマート1」を打ち上げています)としての役割を果たしたともいえるでしょう。
停滞する日本の月探査、世界で盛り上がる「ふたたび月へ」の機運
しかし、現状の日本と世界の月探査を比べると、私としては日本が完全に乗り遅れてしまったという感を強くせざるを得ません。
1960年代のアポロなどの米ソの月探査競争時代を月探査第1世代、1990年代から始まった科学目的の月探査の時代(「かぐや」などもここに含まれます)を第2世代とすると、現在は第3世代だということができます。
この第3世代の特徴は、第2世代が主に周回探査(月の周りを回る探査)であったことに対し、第3世代は着陸機とローバーを中心とした着陸探査であるということです。
その先陣を切ったのは、日本でもアメリカでもなく、中国でした。
中国は2013年冬、着陸機「嫦娥3号」を打ち上げ、月面に着陸機とローバーを下ろすことに成功しました。ローバー「玉兎」は、不具合などもあったもののその後も活動を順調に続けています。着陸機・ローバーとも、着陸から間もなく4年となりますが、順調に動作しています。
いま、世界中で月への着陸機打ち上げへの動きが進んでいます。アメリカは2019年度をめどにRPMという着陸機を月南極へ下ろす動きを進めていますし、インドは来年第1四半期に、「チャンドラヤーン2」という着陸機およびローバーを打ち上げる予定です。
さらに中国は来年、「嫦娥4号」を打ち上げる予定です。これも月着陸を狙いますが、史上初の月の裏側への無人月着陸を実施し、ライバルを一歩も二歩も突き放そうとしています。
そしてなんといっても、技術競争「グーグル・ルナーXプライズ」により、日本のローバー「ハクト」をはじめ、5機の月ローバーがこれから年末(場合によっては来年初め)にかけて月面に送り込まれます。競争ということでこの動向はメディアなどでも盛んに取り上げられるでしょうから、皆さんも月着陸についての話題に触れることがこれから多くなるかもしれません。
では、日本の動きはどうでしょうか。JAXAは現在、この「月着陸ブーム」に間に合わせる形で、2020年に探査機SLIM(スリム)を月面に下ろす予定です。
SLIMの役割は、将来の他の惑星や衛星…特に月や火星への探査機の着陸技術を習得することや、高精度の無人着陸技術を実証することにあります。
しかし、SLIMだけで世界のレベルに追いつけるかというと、筆者は相当心もとないと考えています。
そもそも日本は月着陸では世界でも早くから研究に取り組んでいました。「かぐや」は当初、後部の推進モジュールが切り離されて月に着陸し、無人月着陸技術の試験を行う予定だったのです。しかし、1999年のH−IIロケット8号機の失敗を踏まえた探査の全面的な見直しで、この案はキャンセルされます。
その後、残った月着陸について技術者や科学者が検討を続けて、セレーネB、後にはセレーネ2として具体案を検討しますが、プロジェクト化されることはありませんでした。SLIMで日本は20年以上遅れて当初の目標を、それもエッセンス部分だけを実現することになりますが、そのSLIM自体、先日1年延期(本来は2019年度打ち上げ予定でした)が発表されるような状況です。
いうまでもありませんが、月探査、さらには将来の惑星探査に確実に必要とされる月探査技術をここまで放置したまま、世界から完全に数周回遅れにしてしまった日本政府やJAXAの対応は批判されるべきですし、どうしてこのようになったのか綿密な検証が必要でしょう。
そして、間もなく月探査「第4世代」が動き出します。これは、月面からものを持ち帰るプロジェクト、サンプルリターンです。その先陣を切るのもやはり中国です。
今年末にも、中国は約40年ぶりとなる無人サンプルリターン機、嫦娥5号を打ち上げます。その後2020年前後には同じくサンプルリターン機の嫦娥6号の打ち上げの可能性がありますが、こちらは史上初の月の裏側からのサンプル・リターンが計画されているとうわさされています。
世界の月探査は、日本の月探査、少なくとも政府やJAXAが実行しようとしている月探査からはるか遠くへと進んでしまっています。
始まりつつある「有人月面基地」への道、日本はどう対応すべきか
そしてその先には「第5世代」の月探査が待ち構えています。それはいよいよ、人間を月に送り込むという、有人月探査です。
この有人探査の動きもにわかに活発になってきました。
月探査に現在世界でもっとも熱心な中国は、現在の無人探査シリーズの先に有人月面基地の構築という計画を持っているようです。各種報道によると、中国は2020年代には有人月探査を実施、2030年代には有人月面基地を構築するというビジョンを持っているようです。また、この構想にロシアも加わる可能性が出てきています。
一方の宇宙開発の雄、アメリカの動きも徐々にみえてきました。これまでオバマ政権時代は有人小惑星探査計画に熱心でしたが、トランプ政権はこの方向性を徐々に縮小し、再び月に戻るようです。
この9月1日、トランプ政権は空席となっていたNASA長官に、42歳という若い下院議員のジェームズ・ブランデンスタイン氏を指名しました(正式な就任には議会承認が必要となりますので、もう少し先です)。このブランデンスタイン氏は実は月探査に熱心であるという報道が複数出ています。また、トランプ政権周辺のブレーンにも月探査、さらには月面基地に熱心な人が多いとの情報もあります。これまで不透明であったトランプ政権の宇宙政策、とりわけ月・惑星探査に関する政策が、月を軸に動き出す可能性もあります。
いまではなぜ、有人月面探査が注目を浴び始めているのでしょうか。それは、実は国際宇宙ステーション(ISS)にポイントがあります。
ISSは日本も含めた15カ国が参加する巨大国際有人探査プロジェクトです。しかし、ISSの運用は2024年が期限となっており、各国ともその先巨額の分担金を(老朽化してくるであろう)ISSに出費するかどうかは不明、というよりおそらくしてこないでしょう。
そこで、ISSの次、すなわち「ポストISS」の巨大国際有人探査プロジェクトのターゲットに、月がにわかに浮上してきているのです。
大まかなシナリオは、ISSで培われた技術をもとに国際共同の有人月面基地を構築、いまのISSと同じように宇宙飛行士が常時交代で滞在し、将来の有人火星探査に向けた技術を検証するものとなるでしょう。
このあたりの方向性を決めるのが、そろそろなのです。
折も折、来年3月には、日本でこのような国際大型宇宙探査について話し合う会議「第2回国際宇宙探査フォーラム」が開催されます。議長国である日本は、世界の情勢を踏まえ、将来の宇宙探査について各国の議論をまとめ、ビジョンを提示することが求められる、極めて重要な立場にあります。
そんな中でこの6月末、日本が国際共同有人月探査に加わるという計画が報道されました。この動きは、世界の有人月探査への動きを見据えた上で来年の会議への方向性を出そうとしているものではないかと、筆者はみています。
有人月面基地の実現は大変素晴らしいことではありますが、日本がその要となる要素技術(着陸など)で大幅に出遅れているを考えると、楽観視はできません。さらに、ISSと同様に巨額の負担が必要になるこれらの計画にそもそも日本が参加すべきなのかどうかという議論もあるでしょう。
アメリカではすでに宇宙ベンチャー企業が、ISSのような地球周辺だけでなく、月などへも輸送サービスを提供しようとしています。民間に任せた方が早くて安いならその方がいい、という考え方も出てくるでしょう。
私は、日本の宇宙開発、さらには月探査が世界に比べどの現状にあるかということを国民に正直に伝えた上で、もし国際共同有人月探査に参加するならば、そのメリット・デメリット、将来的なビジョンなどをていねいに説明すべきであると思っています。ISSにおいてもその点が決して十分ではなかったと私は思っています。もっとしっかりと、最新の情報をスピーディーに公開し、国民や科学者・技術者が議論できる素地をしっかりと構築していくことが求められます。
美辞麗句ではなく、すべきことが何なのかを真に国民に問う。日本の宇宙開発をあるいは大きく変えるかもしれない計画は、多くの国民の支持があってこそ、はじめて動かせるのです。