ユーリ・ガガーリンによる人類初の有人宇宙飛行から24日後の日本時間1961年5月6日、アラン・シェパード宇宙飛行士によるアメリカ初の有人宇宙飛行が行われました。2021年の同日、アメリカは同国初の有人宇宙飛行から60周年の節目を迎えています。
当時、冷戦状態にあった米ソは核弾頭を運搬するミサイルと表裏一体であるロケットの開発に注力。日本時間1957年10月5日にはソ連が人類史上初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功し、アメリカをはじめとした西側陣営にスプートニク・ショックがもたらされます。
1958年1月に人工衛星「エクスプローラー1号」の打ち上げに成功したアメリカは、アメリカ航空宇宙局(NASA)の有人宇宙飛行計画「マーキュリー」のもとで宇宙船とロケットの開発を推進。1959年4月には「マーキュリー・セブン」として知られる7名の宇宙飛行士が選抜されました。その一員だったシェパードは、アメリカ初の有人宇宙飛行におけるパイロットに選ばれます。
シェパードによって「フリーダム7」と名付けられた宇宙船を搭載したロケット「マーキュリー・レッドストーン3号」は、アメリカ東部標準時5月5日9時34分にケープカナベラル空軍基地から打ち上げられました。
マーキュリー計画の宇宙船は1人乗りで、全長約2.7m、直径約1.8mという小さなサイズでしたが、単段式ロケットのマーキュリー・レッドストーンでは地球を周回する軌道に投入することはできず、フリーダム7では弾道飛行が行われました。シェパードを乗せたフリーダム7は最高高度187.5kmに達した後、打ち上げから15分後には大西洋上へ着水し、海軍の空母によって無事回収されました。
有人宇宙飛行でもソ連に先行されたアメリカでしたが、1962年2月にはアメリカ初の有人宇宙船による地球周回飛行、1965年6月には同国初の宇宙遊泳に成功。シェパードの飛行から8年後の1969年7月には「アポロ11号」による史上初の有人月面探査を達成することになります。なお、シェパードは1964年にメニエール病を発症したものの、手術を経て1969年5月に復帰し、1971年2月には「アポロ14号」の船長として月に降り立っています。
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Image Credit: NASA
Source: NASA
文/松村武宏